2020年

12月

29日

2020年を振り返る

今年は、様々な問題にむちゃむちゃ振り回された一年だった。

コロナ、首相辞任、相変わらずの中共と韓国、眞子さまご結婚、アメリカ大統領選挙、、。

 


先日、みんなでご飯を食べていて、

「もう、朝からあれやこれや情報収集でめっちゃ疲れる -_- 」とぼやいたら、「そんなんやめればいいじゃん。」 明快な回答を瞬時に頂いた。

 

そう、そうなんだよね、、。物事なるようにしかならないんだから、情報収集なんてやめてしまえばいいのだ。

精神衛生上とても良くないし、目つき人相も悪くなるような気がする。

だいたい、どれが正しい情報か分かる人などいるんだろうか? ネットではあらゆる情報が氾濫している。

 

何故こんな疲れることをやっているのか、自分のことながらちょっと考えてみた。

 

まず、最近一番の関心事はアメリカ大統領選挙だ。

MI6、ロシア、中国、CIA、FBI、NSA、ディープステート、、。

創元推理文庫で育った者として、絶対に放っておける案件ではない(笑)。

とりわけ、国家的な諜報戦がSNSで暴露されているというのが凄い!

アメリカ大統領がTwitterで重要事項を発表し、大手メディアが真逆のことを書く。

歴史的な大事件を私たちは目撃していて、これはエリア51とかUFOとかワイドショーレベルの話ではないのだ。

( UFOについては、今年4月、米国防総省が存在を認めたけど、、。)

この瞬間、アメリカで、世界で何が起きているか、ちゃんと見ておきたい。1月に全ての結果が出るとしても、それまでの経緯は知っておきたいと思う。

陰謀論で片付けるのは間違ってないか?と思うのだ。

 

そして、日本もアメリカも、メディアの偏向報道が”遂にここまで来たか”のレベルまで酷くなっていて、大統領選挙だけでなく、コロナも国内政治も皇室問題も中韓外交も、何が真実がさっぱり分からない。

国民は、自分で情報を探しにいかない限り、自分の判断力を精一杯働かせない限り、誤った方向に誘導されてしまう、嘘を信じ込まされてしまう、そんな不安がこの一年で大きくなった。

 

でも最近、ちょっと疲れたなぁ、、と感じる。

つい一生懸命になってしまう生来の性格とコロナの外出自粛で、朝からむやみに頑張り過ぎた。

料理や読書やピアノや曲作り、いろいろ他も頑張ってしまった。

身体を動かしていない分、不健康な疲労がみしみし溜まってきた気がする。

 

頭と気を休めて身体を動かす。

近くの公園-けっこう広い-をぷらぷら散歩するっていいかもなぁ、、。ぷくぷく着膨れて、、。

今年もブログを読んで下さって、本当にありがとうございました。

いろいろ散々な年でした。禍いは来年まで続きそうです。

でも、日本を誇れる出来事がいくつもありました。

個人的にも、まるで人生の節目のように気付きの多い年でした。

 

来年が幸せな年になりますように。

禍転じて福となりますように。

 

どうぞ良い年をお迎えください。

 

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2020年

12月

15日

共◯通信

最近、スマホで時々見る大手メディアの国際ニュースが、まるでパラレルワールドのことのようで怖い。

”報道しちゃダメ!”的な内部規制がきっとあるんだろう。

 

うんと昔、家に共同通信の人が何かの調査に来て、その時にもらったお礼のボールペン。

通信社って何をやる所かさえもわかってなかったが、ただ「かっこいい♡」と思って、大切にしまっておいた。

たまたま引き出しの奥に見つけて、現在、超酷使状態。

ちょっと可哀想かも、、。

 

別に、君が悪いんじゃない、君の出自が何処であれ、ボールペンとしての能力が損なわれる訳じゃない、でもね、、。

 

メディアが輝いて見えたあの日が、もう思い出せないくらい遠くになってしまった。

 

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2020年

12月

09日

お話し

小さい頃、夜寝る時に、父が添い寝で物語りをしてくれた。

 

物語りは父が覚えている昔話ー『桃太郎』とか『猿かに合戦』なんかだったと思うのだが、どうせ桃太郎や蟹たちが大活躍するずっと手前で眠ってしまうのだから、ストーリーも最初だけでほとんど適当だったと思う。

 


それでも毎晩「お話し〜。」とせがまれて、父もだんだん面倒くさくなる。

ある日、いつものようにお話しが始まった。

 

「昔々、あるところに、小さな村がありました。

村には大きな川が流れていて、すぐそばに大きな樫の木が立っていました。

ある日、強い風がピューッとふいて、一枚の木の葉が枝から落ちました。

木の葉はヒラヒラ風に乗り、ポチャンと川に落ちて、どんぶらこと流れていきました。

 

また風がピューッと吹きました。

すると木の葉がまた一枚、枝から落ちて、ヒラヒラポチャンどんぶらこと川に流れていきました。

 

また風がピューッと吹きました。

木の葉がまた一枚、、、、」

 

これがずっとずっと続いて、いくら3〜4歳児でもさすがに眠るどころではなくなり、いつまで風がふいて木の葉が落ちるのか父に聞くと、葉っぱが全部落ちるまでだと言う。

「このお話はやだぁ!」と抗議すると、

「黙って聞け。葉っぱが全部落ちたらものすごいんだぞ。」と平気な顔をしている。

仕方がないので我慢して聞いているうちに、スヤスヤ寝てしまう。

 

次の日も「昔々、大きな川があって、樫の木が、、」と始まるので、

「違うお話し〜。」と騒ぐ。

「もう少しで葉っぱが全部落ちるのに。ここでやめたらもったいない。」

そうかもしれないと、淡い期待を抱きながら聞いているうちにまた寝てしまう。

 

我が子が拗ねようが哀願しようが構うことなく、父の木の葉の話しはバリエーションを交えながらその後も続いた。

 

そのうち、木の葉が全部落ちた後にどんなスペクタルが待っていようがどうでもいいくらいにすっかり飽きてしまい、もう父にお話しをせがまなくなった。

"お話し"は卒業した。

今思えば、完全なる父の作戦勝ちだった(笑)。

 

ここ半年以上、不安と退屈を持て余す日々が続いていて、忘れかけていた昔の出来事がふと頭に浮かんだ。

 

布団にくるまった小さな私と、隣りで肘枕で横になっている父。

あの時の、父の柔らかい優しい声を思い出してみる。

 

すると、大きなものにただただ甘えて眠る安らかな感覚がふわっとよみがえってきて、すごく幸せな気持ちになった。

少しだけ心が強くなる気がした。「うん、大丈夫。」ってな気分になった。

 

コロナ自粛による慣れた不安に加えて、ここ数週間、アメリカや日本、世界を覆う得体の知れない大きな脅威をひしひしと感じる。

何が正しいのか分からなくなったり、憤りを感じることもある。

そんな時にふっと思い出して安心する、小さな避難所を見つけたような気がした。

 

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2020年

11月

28日

正義と不正

11月3日に投開票されたアメリカ大統領選挙。

現在に至るまで、怒涛のような情報戦がネット内で繰り広げられていて、一日中目が離せない。

どれが本当かどれがフェイクか、、。

ネットリテラシーが試されているなぁ、と実感する。

 

それにしても、クラーケンとかCIAの陰謀とか、007世代の私としてはあまりにもワクワクしてしまうんだが、、。

アメリカの民主主義を倒そうとする”闇の勢力”とその不正を暴き出す”正義の弁護団”。

まるで映画のストーリーそのもので、これが現実のことかもしれないと思うと頭が混乱してクラクラする。

 

他国の選挙だし日本人があれやこれや言っても仕方がないのだが、多くの保守の人たちは内紛が起きるほどに熱く見守っている。

正義が勝つと信じたいが、これほどの大ニュースを全マスメディアがスルーしているのが興味深い。

後世の歴史はどう検証するんだろうか?

 

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2020年

11月

17日

楽器の練習のこと

2020.10.21産経ニュース(『浪速風』)に面白い記事があった。

 

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<エレキの時代>

 

「今年はわが社の歴史上、最も売り上げの大きな年になるでしょう」。

米紙ニューヨーク・タイムズ (電子版) に、こう語ったのはエレキギター製造大手、フェンダー社のアンディー・ムーニー最高経営責任者 (CEO) 。

要因はもちろん巣ごもり消費だが、意外だったのは顧客に若い世代が増えたことだという。

 

コンピューターに演奏を任せるのが今風で、エレキギターの人気、需要は長い下り坂をたどっていた。

ロックギターの「神様」ことエリック・クラプトンさんは「ギターはもう終わったのかも」と嘆き、一昨年にはフェンダーのライバル、ギブソン社が一度経営破綻している。

 

だから「今年3月の時点では、こんなことは予想していなかった」とムーニー氏。

フェンダーの調査によると、初心者の9割は一年以内にやめてしまっているというが、コロナ禍のせいでじっくり練習できる時間が生まれている。

新たな才能が開花するかもしれない。( 産経ニュース )

 

**********

 

楽器を初めて買う殆どの人が、最初は希望に燃え、うんと練習して上手くなる気まんまんなのだが、すぐに飽きたり諦めたりしがちだ。

今回のコロナ自粛で、毎日やる事がなくて楽器を練習する時間が増えた結果、飽きたり諦めたりする前に上手くなっちゃった人が世界中で増えたらしい。

上手くなれば良い楽器が欲しくなる。それで、フェンダー社の利益が史上初になったという事なんだろう。

楽器の練習は、陽の目を見る事なく日々黙々と地味に継続される。

効果が劇的に現れるというよりは、ある日突然、ちょっとだけ上達を自覚する。

「あれ?できるようになった!」みたいな....。

その幸せな日の為に、みんな忍耐つよく練習を積み重ねる。

その日は一週間後かもしれないし、一年後かもしれない。

でも、その日を一度でも経験すると、大概の人は「また頑張ろう」と思うのだ。

 

私のJazzはその繰り返しで、定期的に大変な挫折感に襲われたりもする。

でも、基本的に楽観主義で立ち直りも速い(笑)。「また頑張ろう!」と思うだけだ。

 

楽器の練習は、まさに楽あれば苦あり。

でも、頭の中にかっこいい理想の音が鳴っている限り、それを目指して日々楽器に向かう。

上手でも上手じゃなくても、一生懸命努力している人たちが、私は好きだ。

ずっとそういう人たちの仲間でいたいなぁ、と思う。

 

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2020年

11月

08日

選挙

3年前の衆議院議員総選挙の時、住民票がまだ新潟にあったので、東京から不在者投票請求をした。

その時、新潟の選挙管理委員会から郵送されてきた投票用紙のパックに、『投票場に行くまで開けるな〜!』とあんまり厳重に書いてあったので、へぇ〜凄いなぁ、、と思ってブログに書いた。

選挙というのはとても厳正なもので、私の一票は公正なシステムによってしっかり守られている、と感激したのだ(『選挙ー不在者投票』2017・10・19 )。

 

今回のアメリカ大統領選挙。

なんだかなぁ、、。

驚くというより、悲しくて力が抜けた。

世界一の民主主義国家、、なんだよね?

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2020年

10月

15日

この半年間の事。

日本中のたくさんの人たちが、きっとそろそろ、この半年間の事を振り返っているんじゃないだろうか?

 

働き方が激変した会社勤めの人、今まで経験した事のない苦境に陥ったお店経営者、朝から晩まで家族の世話で悲鳴を上げた主婦たち、、。

入学・入社など、4月に新しいスタートを切る筈だった人たちは本当にかわいそうだった。

音楽に携わる私たちも、演奏の場を失って、経済的にもそうだけれど、もっと精神的に追い込まれてしまった。

 

ジャズはコミュニケーションの音楽とよく言われるが、お互いの音で会話を楽しむ。

大声で騒いだり優しく囁いたり、はっと緊張したりほっと和んだり、、。

日常からそういうやり取りがぱったりなくなると、しばらくは個人練習だ〜!と頑張れるが、だんだん元気がなくなってくる。

フラストレーションがたまってくる。

 

私は普段から引きこもりだし、ライブもそんなに頻繁にやっていなかったから、自粛当初はあまり深刻に考えていなかった。

ところが、音の会話どころか、実際の会話もパン屋のおかみさんと八百屋のご夫婦だけとなると、これは大変な緊急事態だ。

 

私は定期的に--たぶんひと月に一回くらい--ものすごくお喋りをしたくなる。

滔々ととりとめもなく、思いや考えを吐き出したくなる。

それで足りない分をブログに書く訳だが(笑)、お喋りは、相手の目を見て、時には握手したり肩を叩いたり、本当に素敵なコミュニケーションだ。

 

Jazz演奏とお喋りと、両方失って、私の精神のバランスが危うくなった。

7月に危機がやってきた。

 

芥川龍之介は、ぼんやりした不安と言って自殺した。

以前は、ふぅーんと思うだけだった。

7月のある日、もしかして、芥川の言った不安とはこんなものだったのかしら、といきなり思った。

そして、夜、眠れなくなった。


もちろん、自殺までするような不安は他にいろいろな要素が複雑に絡み合ったものだろうし、私は自殺なんてさらさら考えないのだから、おそらく違う種類なんだろう。

 

でも、不安というものの実体を感じたような気がした。それもぼんやりと、、。

理由もなく息苦しい、胸に重しを置かれたような感覚。

何かが心配だとか、迷っているとか悔やんでいるとか、なにも思い当たらない--少なくとも自分の生活に関しては--のに、胸の重しはずっしり深く食い込んでくる、、。

得体の知れない重しの正体をなんとか知ろうともがいてみても、暗闇にぽっかり目を開けたまま時間だけが過ぎていく。

これはヤバいぞ、と思った。

 

ただ、この人生初めての”ぼんやりした不安体験”は、幸いな事に数日間で終わった。

よく分からないのだが、久しぶりのセッションで仲間に会えたり、エステに行ってスキンシップしたせいかなぁと思っている。

 

人間の心は、本人が自覚しないうちに傷を負い、かすり傷ならすぐに治るが、時に炎症をおこしたり化膿したりする。

目に見えないから、傷がある事さえ気が付かないことの方が多い。

うまく治るか拗らせるかは、それこそ運みたいなもので、私だってあのまま拗らせていたらどうなっていたか、、。

 

7月の不安体験は、そんな心の危うさ、怖さをひしひしと感じる機会になった。

 

この半年間に起こった事。

でも、悪い事ばかりじゃなかったので、次回は良かった事を書きます ^ ^ 。

 

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2020年

10月

14日

PCの一大事

PCが故障して2週間以上、スマホだけになった。

画面が小さいと、FBに書き込むのも億劫になる。( まぁ、もともとFBはあまり使わないんだけど。)

ブログが書けない、DVDで映画が見れない、一番の苦しみはYouTube見放題が制限された事だった。

 


そこで、ひとつ気が付いた。

映画や動画をたくさん見ていると、外からの情報が頭の中を通り抜けていく。

 

例えば、本で物語を読む場合、文章を追いながらその場の情景や人物の気持ち、こんがらがった事情なんかを想像して、自分なりにいろんな情報を組み立てる。頭の中に世界が出来上がる。

映画は、想像なぞしなくても一方的に作られた世界を見せてくれる。

YouTubeの動画は、テンポよく主張が語られて、ふ〜ん、なるほどねぇ、、と生半可に分かった気になる。

自分で深く掘り下げようと思わない。

視聴者の意見も断片的だったりする。

 

2週間以上、映画や動画をほぼ見なかった、というか見れなかった。

本を読んだりぼっと考える時間が急に増えたせいか、この数年で、頭の中の風通しがずいぶんよくなっているのを感じた。

いろんな事--知識や情報、物語までもが、ひゅ〜っと頭の中を通り抜けていく、、。

自分の頭でしっかり受け止める事をしないから、重さをもった考えが残らない。すかすかしている。

 

こうぼんやり気が付いたのは、YouTube禁断症状(笑)がひとしきり収まった末の事だ。

 

本を読まないといけないなぁ、と思った。

頭の中に世界を作る作業を続けていると、いろいろな意見を貯める為のスペースが自然にできてくる。

独りよがりな考えをストップさせる為の障害物もあちこちに建つ。

以前はもう少し、頭の中にいろいろ詰まっていた気がするのだ。

 

PC故障のストレスは、それはそれは大変なものだったが、このくらい追い込まれないと大事なことに気付けなかったんだろうと思って、我ながらちょっとがっかりした。

 

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2020年

9月

20日

ガンダム上頭式

数年前、うちのマンション隣りの空き地に4階建てのマンションが建つことになり、朝、不思議な祝詞と柏手(かしわで)を打つ音で目が覚めたという記事をこのブログに書いた(『日本の神さま』20141109 )。

 

私が住んでいるのは東京の某私鉄沿線、駅から歩いて2分、近所に神社もお寺もない、その代わりコンビニは何件もあって、由緒ある遺跡など探せば何処かにあるのかもしれないが余程の郷土史家しか知らない、普通によくある小さな街だ。

うちのマンションはほんの数世帯が入るこじんまりした建て物で、隣りに建つのも同じようなマンション、つまり、あまり有名でない私鉄駅前住宅街のあまり広くない土地で、ひっそり厳かに地鎮祭が執り行われていた。

 

3Fのベランダから覗くと、会社のお偉方らしい人たち十人ほどが頭(こうべ)を垂れる前で、烏帽子と袴を着けた神職の方が祓串(はらえぐし)をばさばさ振っていた。

現代の日常生活の真っ只中に古代の宗教世界がいきなり出現していて、「日本は不思議の国だ、、。」とつくづく思ったことだった。

 

先月29日、横浜市の山下埠頭で「ガンダムの上頭式」が催されたそうだ。

海外ニュースサイトで、外国人たちが大いに盛り上がっていた。

ふむふむ、、”ガンダム”は知ってる、有名な機動戦士ロボットだよね、、それで”上頭式”ってなに?

掲載されている写真を見て、ちょっとぼっとした。

横浜市と提携して進められている「動くガンダム」展示計画。(『ガンダムファクトリー横浜』)

85日、山下埠頭に高さ18メートルの「実物大」の本体が完成し、29日にガンダムの頭部をクレーンでつり上げ、胴体に設置する作業が行われた。

その際に、土地の神さまに祈祷を捧げる儀式が「上頭式」なのだ。

 

実物大巨大ロボットを実際に動かす、なんて事を数年かけてやり遂げるプロジェクトも前代未聞だが、完成の無事をお願いされた神さまも、天の岩戸から此方(こっち)初めてのことでさぞ驚かれたことだろう。

 

日本は時々、タイムスリップしたり別次元にワープしたりする。

私みたいなSF好きにはほんと堪らない国だ(笑)。 

 

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2020年

8月

29日

安倍総理の辞任

昨日の午後、ネット速報が『安倍首相、辞任の意向固める』と報じた。

びっくりした、、。

一瞬、うそ~っと思った。

でも、”持病悪化が原因”と読んで、がっかりと言うより、なんかすごく悲しくなった。

 

病気を抱えながら、7年間もほんと大変だったろうなぁ、と思った。

日本国のリーダーとして、あそこまで内政外政、様々な成果をあげながら、メディアはほとんど報道することがなかった。

国民は、大事なことは何も知らされないまま、週刊誌スキャンダルのような疑惑で総理が糾弾される姿をずっと見てきた。

 

私などただの政治ウォッチャーだが、「安倍さんには頑張ってほしい。」なんて、言わないでもいい一言をぽろっと言ったおかげで、凄まじい憎悪を浴びた。

( アベを応援するとは何事だ~ってことだ。)

その夜は、ドキドキ動悸がして眠れなかった。

人の悪意というのは、呪いのように相手を弱らせる。

そんな憎しみ、憎悪を真正面から何年も浴び続けたのだから、首相の精神力にはただただ驚く。

政治家としての信念の強さなんだろうか、、。

 

夕方の記者会見で辞任を表明した総理は、淡々と事情説明や今後のことを語っておられた。

でも、途中で唇を固く結んだ表情を見た時、悔しいだろうなぁ、もっと頑張りたいだろうなぁ、と思って切なくなった。

 

各国の首脳から、労いと称賛の言葉が続々と送られてきている。

ここまで深い信頼と友情を寄せられる日本国のリーダーを持ったことが、誇らしい。

安倍晋三氏は、間違いなく、世界的な偉大な政治家だった。

 

安倍首相、長い間、本当にありがとうございました。

そして、本当にお疲れ様でした。

ゆっくりお身体を治して、是非また日本の為に力をお貸しください、それも近いうちに。

日本も世界も、めっちゃ大変です!

ほんと、これからもっともっと大変になると思われ、、。

 

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2020年

8月

24日

帰省警察

先日、珍しく外出し、iPhoneで音楽を聴きながら電車に乗り込んだ。

ふんふんと楽しく座席に座ったら、なんだか周りの人たちの目が険しい。

なに?あたし、なんかした?

オロオロ考えたら、マスクをしていないのに気が付いた。

半径1.5メートル内に誰もいない、私は風邪などひいていないし、これから車中の皆さまに演説をするわけでもない。

でも、車中の皆さんは「こいつコロナに罹ってるかもしれない、、。」と不安に思っておられるのだ。

慌ててバッグからマスクを取り出した。

見回してみると、乗客の方々は100%全員がマスクをしていて、これは見事だ、、と逆に恐れさえ感じた。

 

街を歩けば、小さな子どもまで可愛いマスクをしている。

確かコロナは、空気感染じゃなかったよね?

でも、どこに付着しているか分からない菌から自分を守る為に、マスクは小さな安心を与えてくれる。

そして、自覚症状なしにコロナ菌を持っている人も確かに存在するのだから、公共の場では絶対に必要だと思う。

 

でも、でも、マスク警察って、、。ネットの記事を読んで驚いた。

それ以前には、自粛警察ってのがあった。

営業しているお店に嫌がらせのような張り紙を貼っていく。わざわざ写真を撮って、SNSにアップして非難する。

マスク警察は、マスクをしていない人に対して露骨に着用を促すのだとか、、。そしてお盆になって、とうとう帰省警察が出現した。

東京の人は地方に帰ってくるな、コロナ菌をこっちに持ちこむな、ということだ。

それはそれで、一つの正義なんだろう。

コロナのリスクを限りなくゼロに近付ける為に、少しの油断もあってはならない。

警察とまで呼ばれる行動を起こすという勇気は、ある意味すごいと思う。

 

でも、そういう正義を突き詰めていくと、首相の検査入院まで非難するような、人としてどうかと思われるような行動にまで拡大してしまうんじゃないかと思う。

 

今まで、国会質疑などで、議員が居丈高に一方的に糾弾するような場面をたくさん見てきた。

その人たちの正義、、。

理想とする正義のために、他にもっと喫緊で大切な問題があろうと目もくれず、行く手を阻む敵をどんな手段を使っても粉砕する。全て反対する。打倒が目的化する。

大声で主張する意見が、国民を代表する意見だとは全く思われないのに、「国民が、、」とか「国民の声を、、」とかたくさん言う。

そのような姿は、自分の理想の正義のためには何を犠牲にしてもいいと信じているようだ。

何かと戦うことが政治だと思うなら、海外には虎視眈々と日本を狙っている大国がある。

外交戦略で頑張ればいいと思うよ、ほんとに、、。

議員の方々は、まず第一に国民を幸せにする為に仕事をしてほしい。理想や信条も大切だけど。

 

お盆に帰省。

それぞれが気を付けて行動すればいいし、国民はそれほど馬鹿な振るまいはしないはずだ。

なのに、他人からダメ!と阻止されるってどうなんだろう?

日本人は、お盆はお墓参りなのだ!

私は、新潟に帰りたい!(泣)

 

、、でも、みんなの迷惑になるから今年は帰省しない。

「消費税増税、反対-_- 」ついでにぼそっと小声で言ってみた。

 

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2020年

8月

15日

乗っ取り

FBのアカウントが乗っ取られる、なんてのはどこか遠い世界の話だと思っていた。

そもそもFBをまるで活用できていないし、あまり見ない。

”ちゃんと発信しないとダメよ”的なアドバイスをFB社から何回も頂いているくらいだし、メッセージもほとんどが業務連絡だ。

だから、どうして私?

 

数週間前、今回と同じようなメッセージが友人から送られてきた。

何かのいたずらかな、と思ってスルーしたのだが、その友人も私と同じ、乗っ取りの被害者だったのだ。

いろいろな人が言っていたが、このような行為が近ごろ流行っているらしい。

「もう慣れたよ。」と言う人もいた。

 


「田崎さん、アカウント乗っ取られてるかも。」とメールで知らせてくれた友人に「お知らせ、ありがとうございます。」と返信しているさなかに、FBから警告のメッセージが送られてきた。

心臓がパクパクした。

私はこういうの、詳しくないんだよ、なんのこっちゃなんだよ~!と心の中で叫びながら、FBの指示通りにパスワードを変更した。

偽のメッセージが送られたらしい人全員に、”動画を開かないで”とメッセージを送ったが、気持ちが急(せ)いて慌てているのと、どうして私なんだ?という疑問が解消されないままなのとでぐしゃぐしゃして、作業が終わった時には心身ともにぐったり疲れた。

 

その日は、それからずっと返信が届き、ほとんどの人が「大丈夫だよ^ ^」と言って下さってほっと一安心した。

しばらく連絡をとっていなかった友人たちの近況も知れた。

 

「えぇ?今、フィリピンに住んでるの?」(某マスター)

「午前中は冷房なしで運動とか、マジ凄過ぎ~ ^ ^」(某musician)

「そっか、ライブ配信、やってるんだ、偉いなぁ、、。」(某musician)

「高尾?うん、遊びに行くのもいいかも、、。」(某ママ)   等々。

 

パクパクしていた心臓が、ほっこり嬉しい気持ちで満たされていくような気がした。

”お疲れさま”と、こちらを気遣ってくれる方までいた。

 

助けてもらって生きてるんだなぁ、と改めて痛いほどに感じた。

世の中には変な人もちょっといるけれど、少なくとも私のまわりには素敵な人たちがいる。

そんなことを今更ながら思った。

今回の事件では、酷い経験をしたが悪いことばかりではなかった。

 

もしかして『人間万事塞翁が馬』ってこういう事を言うのかなぁ、、。

、、え、違う?

 

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2020年

8月

07日

左の私

”左の”、と言うと、近頃の風潮では何となく政治の匂いがしてくる。

とかネトとか、ネットでは左右両陣営(笑)が侃々諤々かまびすしいが、今日はそういう事とは全く関係無く、私の左半分についてふと思ったことを書きます。

 

ある日、鏡をまじまじ見ていた。(あまりに毎日、暇だ、、。 )

顔の左半分と右半分がかなり違う。

一般的に顔の左右が違うという事はよく知られていて、それぞれ対称形にしてみるとほとんど別人になる人までいるらしい。

それはそうなんだけれど、その日私は、造作というより、左右の雰囲気がずいぶん違うことに気が付いた。

どうしてそう感じるのかと思って見直すと、原因は眉だ。

私の眉毛は薄いのだが、右は薄いなりにキリッとしていて、左はぼやぼやっとしている。

眉のせいで、右は勝気で挑戦的、左は弱々しく遠慮がちに見える。

化粧の時は左右対称に修正するが、たぶん無意識に右に合わせている。

右の顔の方が好きなのだ。

 

考えてみれば、昔、捻挫でギブスまでしたのは左足だった。

足の格好も何故か右のほうが好きだったりする。

髪をアップにする時の夜会巻きも、迷うことなく右側重視だ。

 

ピアノを練習すると、右手は習得が早い。

左手は、   

「君、違うでしょう? どうしてそのタイミングで音、出しちゃうの?」といつも私に叱られている。

実際、左手があまりに思う通りに動かないので、私は練習のたびに腹を立てる。少しづつでもよくなっているのに、褒めることをしない。

 

なんか、可哀想だなぁ、左の私、、。

ぶきっちょで弱気で、いつもおどおどしている、、。

 

頑張れ、左の私!

君の努力を認めないやつなんて無視すればいいよ、君の良さは私が一番知っている!

だいたい強気が何だ!要領がいいのが良いことなのか?君はマイペースで進めばいいんだ!

 

、、ん?

まぁ、愛すべき左の私は、普段あまり自己主張をしないのだけれど、存在を改めて知ってもらって少し嬉しそうだ。

私も少し反省した。

 

コロナ自粛がこれ以上続くと、次は何を反省しだすんだろうか、私、、(笑)。

 

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2020年

7月

26日

飲み会について

コロナ後の新秩序について、インターネットではたくさんの記事や動画がアップされている。

歴史的な時を生きているんだ!と毎日、実感する。

今まで経験したことのない現実を目の前にして、日本だけじゃなく、世界のたくさんの国々がそれぞれ抱えるコロナ以外の重要問題の早急な解決と決断を迫られている。

混乱に乗じる”嫌な”動きがあちこちで起きているのだ。

世界がいろいろな意味で大転換するかもしれない。

私たちは、ただ見守るしかない、良い方向に向かって欲しいと祈るしかない。

 

こんな大変な時なのに、たまたま飲み会に行くと政治の話はするなとみんなが言う。

この世界の危機のような時に、他に何を話すんだと逆にびっくりする。

関心がない人にとってはただうるさいだけなんだなぁと諦めて、平身低頭、申し訳ありませんと謝るしかない。

 

何かを決めつけて主張するのでなく、ただ事実を並べてみんなで話し合うことができればいいのになぁ、と思う。

そういう考え方もあるね、という風に。

でも確かに、楽しい気分にはなれない、、。うん、確かになれない、、

好きなミュージシャンの話題、最近ハマってるドラマ、近所の名物おじさんの事、そうだ!時代劇の話をしよう!と思ったら、某所で時代劇の話も嫌がられたんだった(笑)。

どういう経緯(いきさつ)だったか、、? まぁ大好きな分野だからなぁ、、。

 

どうもこれは、私の人間性に問題があるんではなかろうか?

 

普段からその傾向があるのに、お酒が入るとともかく『語る』。

滔々と『語る』。

ある人に言わせると、演説に近いらしい。

たぶん、これだな、、。

お酒を飲みながら、WGIPや市川雷蔵の評論を長々と聞きたい人などいない。偏向報道やマスコミ批判は他でやってくれとなるのだ。

ただ、みんなで楽しく笑って、楽しく盛り上がるのが正しい飲み会である。

誰かの考えを聞く場ではないのだ。

 

こんな基本的なことに今さら気づくというのもかなりな間抜けだが、今さらついでによく分かった事がある。

私は飲み会に向かない。

楽しいとはとても思えない。

話したいことも話せないなら、苦行だとすら思う。

 

気の合う友人23人だけで飲む時は、遠慮なしに意見を言い合い、憚ることなく世の中を憂う。

こういう話しができる友人は稀有だ。

そして、その稀有な友人を持っている私は本当に幸せだと思う。

飲み会など行かずに、気の合う友人と会う時間を大事にすればいい。

飲み会は社交の場であり、私は社交に興味も適性もないのだ。

ちょっと寂しい時でも、なるたけ避けた方がいいと思われ、、。

歳を取ったんかな、私、、(笑)。

 

コロナ自粛で一人でいると、来し方の反省などあれこれしてしまう。

飲み会について今まで考えた事もなかったが、人生の小さな転換点になったようだ。

 

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2020年

7月

14日

髪を切った、、。

新潟には随分と長い間、定期的に頻繁に帰っていた。

両親の体が弱ってきて家事を助けるために月2回ほど、父が倒れてからは介護で新潟に住まいを移し、両親が亡くなった2014年以降は家の管理のために毎月一回、帰った。

 

新潟と東京、両方が自分の居場所という感覚だった。

去年11月に実家を売却した時は、東京だけになるんだなぁという寂しさと一緒に、張り詰めた気持ちが解け肩の荷を下ろした安堵の気持ちもあった。

幸いなことに、家を買ってくれたのが母方の従姉妹で、今年の春には前庭の梅の木の写真を送ってきてくれた。

「白梅がとても綺麗に咲いていましたよ。」

写真を眺めながら涙がポロポロでた。

定期的に帰ることはなくなっても、8月はお盆だし、10月には新潟高校の同窓会が盛大に開催される。

その前に5月頃でも一度帰って、行きつけの美容院に行って幼馴染みと食事をして友達とお茶して親戚の家に遊びに行って、、といろいろ楽しいことを考えていた。

今回のコロナで、全部が無しになった。10月の同窓会までもキャンセルになった。

 

仕方がない事だと自分に言い聞かせつつ、にわかに深刻な問題になったのは”美容院”だ。

新潟市古町の美容院には20代の頃から通っていて、気心の知れた美容師・長谷川さんがいる。

彼女はとても優秀な上に、私が美容に対してとんと無精な事もよく分かっていて、

「田崎さんも、ちゃんとやれば綺麗になるんだけどねぇ、、。」と、ありがたい諦めの言葉を何度も頂いた。

長谷川さんに髪を切ってもらいながら近況報告をし合うのが、帰省の楽しみの一つだった。

 

去年の11月以来、東京で新たに美容院を探していない。

しばらくは新潟で、長谷川さんにやってもらおうと思っていた。

一度帰ると春先に決めた時点で髪は既にだいぶ伸びており、自粛が長引く中、いくら私でもこれ以上はもう無理という状態になった。

さてどうしたものかと、毎朝鏡を見ながら悶々とした。

 

いよいよしょうがなくなって、家中で一番よく切れるハサミと化粧用の鏡を前に置いて、覚悟を決めた。

長谷川さんは、毛先を少しづつ、自然に見えるように丁寧に切っていた。

ちょっと真似してみようかと一瞬迷ったが、無理なことはしないに限ると思い定めた。

ジャキーン、ジョキーン、ジャキーン、、。

ものの数分で切り終わった。

市松人形のような仕上がりに、我ながらぷっと吹いた。

これは、今度長谷川さんに会った時に大笑いされるなぁと思った。

でも夏だし、アップにするし、、。

( まさか自粛でこんな事までやろうとは、、。)

 

前髪は時々自分で切って失敗していたが、全部を切ったのは人生初めてだ。

コロナはまさに、歴史的な出来事なのだ、とつくづく思った。

 

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2020年

7月

03日

今日の香港、明日の、、。

このブログで去年1118日、香港について書いた。

ビクトリア湾を巡るクルーズ船で演奏した思い出と、大国の強権によって一国二制度が危うくなっている事を心配して記事を書いた。

7ヶ月あまり経って、世界は何もできなかった。

国家が市民の自由を奪うやり様を、文句を言いながらただ眺めていた。

 

71日の産経新聞『香港は死んだ 目に見えない戦車がやってきた』-黒塗りの誌面から強い悲しみと憤りが伝わってくる。

天安門事件の追悼集会(64日)に絡めて、記者は最後にこう書いている。

 

「怖くない人はいない。相手は見えない戦車だけに、どこから弾が飛んでくるか分からない。それでも、戦車に立ちはだかろうとする香港人たちは必ずいる。面従腹背の市民たちも、いつか仮面を脱ぎ捨てるときが来る。息の長い戦いになるだろう。国際社会もまた覚悟を迫られている。

 夜明け前が最も暗い-。最近、自らにこう言い聞かせる香港人が多い。2020年6月30日、香港は暗黒時代に入った。」

 

私たちは、あの国が過去にどんな事をやり、これから何をやろうとしているか、ちゃんと見続けないといけないと強く思った。

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2020年

6月

18日

父の料理 -Part3-

今回の自粛要請で、”にわか料理人”が増えたようだ。

 

外食ができない、行きつけの店は閉まっている、スーパーのお弁当も飽きたとなれば、いくら独身貴族でもいっちょ包丁でも握ってみるか.…となる。

まめに台所に立つ人も、この際だからと普段絶対やらないような、時間がかかってめちゃ手の込んだ、後々友だちに自慢できちゃうぞってな野心的な料理に挑戦したんじゃないだろうか?

私の場合、野心的な試みにもちょっと心惹かれたが、誘惑を振り払ってまず誓ったのは「リベンジ!」だ。

 

焦げて鍋ごとダメになったビーフシチュー、ニンニクを入れ過ぎたせいか予想外なものになったエスニック料理、分量を計らず適当にやったおかげで大量にできてしまった乾物の煮物、、。

屈辱的な失敗の数々が、絵巻物のようにハラハラと思い起こされ、何故か美味しいものを食べた時より鮮明に覚えているのだ。

期待と結果の落差が絶望的に大きいと、記憶に残るダメージは深刻になるらしい。

 

料理で失敗した場合、私のように独り者であれば「リベンジ!」と叫んで済む。失敗の原因をくどくど考えながら、一人でがっかりして終了だ。

家族がいた場合、一体どうなるんだろうか?

 

父の場合、退職後に食事を共にする家族が母一人だった

母は、失敗に対して”情状酌量”というものがない。

相手の心情を慮って、とか可哀想だから、というのはよほどのことがない限りほぼ無い。

一貫してダメなものはダメであり、失敗は失敗で”上告却下”だ。

「しょっぱい、甘い、味がない、生煮えだ、、、なんか美味しくない、、」ぼそっと言って箸をつけない。

他からの援護射撃もない訳で、父の精神力にただただ脱帽する。

さすがに時々、癇癪を起こしていたが、、。

 

でも母は、成功に対しては満面の笑みで「テンハオ~!」だった。

”テンハオ”というのは母的に「美味しい~!」という意味らしく、ネットで検索してもそんなのは出てこないのだが、我が家では定着していた。

”テンハオ”の料理は”最高!”ということだ。

美味しいものを食べる時の母は、ハフハフもぐもぐと見ていて本当に気持ちが良い。

父は、母の笑顔が見たかったんだなぁ、と思う。

父自身も食いしん坊だったが、レシピには母の好物が多い。

このところ毎日、料理を作っていて、そんな父の気持ちがちょっとわかるような気がした。

 

2ヶ月半の自粛で、料理リベンジ計画は着々と成果を上げている。

「なぁんだ、やれば出来るじゃん、あたし❤︎」と思う今日この頃である。

 

***Part4に続く***

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2020年

5月

30日

父の料理 -Part2-

父は釣りが趣味だったので、時々、釣ってきたキスなどを捌いて天ぷらにしてくれた。

私は、釣り人というのは釣った魚をちゃんと料理して食べる人たちなのだと勝手に思っていたので、父が包丁を握るのを見ても当然と思っていた。

ついでに言えば、目覚まし時計なしで朝も暗いうちから起き出し、誰に頼まれた訳でもないのに何やら道具をいっぱいバイクの後ろに積んで、早朝何処かに一人で出かけて行く、、。

母や私とは全く違う行動目的を持つ人がいて、それが娘にとって一番身近な父であった結果、男性というのは不思議の人たちなのだという刷り込みがなされてしまったんじゃないかと思う(笑)。

親戚の家に行くと、父が料理をするという事にみんなが驚いて「みっちゃんのパパは凄い!」と言われたが、私にすれば、目覚まし時計なしで決めた時間に起きれるということの方が、数十倍凄いことのような気がした。

学校の遠足や行事でお弁当が要ると、父か母が時に応じて作ってくれた。

母の卵焼きは塩味のオムレツなのだが、父のは醤油が入っていて甘い。

どちらかと言えば父の卵焼きが好きで「パパ、お弁当作って。」とねだったような記憶がある。

日曜日の夜、家族で夕食の時に、

「これはパパが作った。」と、母がメインの一皿を指して言う。

「そうなの?! パパのはやっぱり美味しいねぇ。」とうっかり本音を言って、母に睨まれたこともあった。

 

母は、料理が下手だったのではない。

母の中華料理は、鶏ガラからスープをとるなどかなりものだったし、栄養学も独学であれこれ知っていて、何より食べるのが大好きな人だったので、ちゃんと作ると相当なものが出来た。

ただ”毎日”となると、手抜きも仕方ないのだ。

 

定年を機に、父が一家の家事を担う事になった。

一ヶ月の掃除計画を立て、タオル類の洗濯周期・ローテーションを決め、台所用品もいろいろ増えた。

( “油の温度計”というのを初めて見た!)

帰省した時に、台所の壁に貼られた『掃除スケジュール表』を眺めながら、

「パパ、台所の換気扇なんて、毎月掃除しなくていいんじゃないの?」と意見してみた。

父は頑固で、決めたことは最後までやる人だったから、脳梗塞で倒れる日までそのスケジュール表が変更されることはなかった。

 

父の定年の時に私はもう東京にいたので、その頃の家のことは詳しく知らない。

でも、味にうるさい母が下手な料理に黙っている筈がないと思われるので、きっと父は毎日、手を抜く事なく美味しいものを作り続けたのだ。

 

***Part3に続く***

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2020年

5月

19日

父の料理 -Part1-

二ヶ月近くも家の中に閉じこもっていると、いろいろと飽きてくる。

映画もYouTubeも読書も、気が向いたときにやるから楽しいので、毎日数時間となるとさすがに飽きる。

今日は何をやろうかと朝から悩んで、ふと思い付いて、ピアノの下に積んである書類の束の中からA4サイズの古い茶封筒を6つ、ひっぱり出した。

 

父が残した料理レシピだ。

 

封筒の底と両わきがガムテープで補強してあって、長い年月の流れでガムテープは焦げ茶色に変色している。

それぞれ題字に大きくサインペンで、『豚肉』『とり肉』『牛肉』『野菜』『魚』『その他資料』と書かれ、父の手書きのレシピがぎっしり詰め込まれている。

 

父が定年退職した時、母がこう言ったそうだ。

「これから暇になるんだから、パパ、家事やれば?」

 

母の家事は、娘から見てかなりな手抜きだったと思うが、それでもやはり、何十年もやれば退役したいと思うのはもっともだ。

七年前に父が倒れ、それから約一年半の間、病院にいる父と家の母の介護をしながらなんとか家事をこなした。

慣れてないせいもあったろうが、主婦業というのはとんでもなく大変な仕事だと思った。

ちゃんとやろうと思えば、次から次へと仕事が湧いてくる。際限が無い上に、達成感もあまりない。

( ”庭の草取り”は過酷だったが、唯一、達成感は半端なかった、、。 )

主婦業は向き不向きのある職業だと思うが、間違いなく、母も私も向いていなかった。

 

母に家事移譲を言い渡された父は、

「おう、いいよ!」と快諾した。( これはその場にいなかった私の想像 ^ ^ )

 

かくして、父のレシピが誕生する。

***Part2に続く***

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2020年

5月

09日

宇宙作戦隊

*58日 夕方の産経ニュース*

 

『防衛省は8日、自衛隊初の宇宙専門部隊となる航空自衛隊の「宇宙作戦隊」を18日に発足させると発表した。空自府中基地(東京都府中市)を拠点とし、当面は約20人規模。外国による日本の人工衛星への攻撃や、宇宙ごみ(スペースデブリ)の監視などを担い、令和5年度までの本格運用開始を目指している。宇宙防衛強化に向け米宇宙軍との連携も図る。』

 


いよいよ、日米宇宙軍の発動だ!

スペースデブリも中国の衛星攻撃も恐ろしいが、それより何より、近い未来に宇宙から何者かが襲ってくるかもしれない。

つい数日前、米軍がUFOの写真を公開したばかりだ。

今回のコロナウィルスだって、もしかして宇宙生命体かもしれないのだ。

専守防衛とか言っていられない大変な事態になる前に、日本も周到に準備しておいた方がいい。( あくまで個人の感想ですw )

 

「宇宙作戦隊」かぁ、、。

やっぱりう~んと長生きして、地球人が火星人になる日を見届けたいなぁ 、、。

( レイ・ブラッドベリ「火星年代記』参照 )

 

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2020年

4月

29日

UFO

毎日、新型コロナの情報ばかり見聞きして暗くなっているが、今朝は久しぶりにちょっとワクワクした。

29日産経ニュースの読者ランキングトップは、『米軍、UFO撮影に成功か「謎の現象」映像公開』。

な、なんだって!?とうとうアメリカ政府がUFOを認めたのか!

ロズウェル事件から73年、本当に長い道のりだった、、。しばし遠い目をして感慨にふけった、、。(お前はいくつなんだよ?)

気を取り直して記事を読んでみると、一昨日27日、米国防総省は海軍が2004年と2015年、赤外線カメラで撮影した雲の上を飛ぶ未確認飛行物体の映像を一般に公開した。

「映像の真偽や、他にも何か写っているのではとの推測について整理するため」公開を決めた、という事らしい。

 

続いて産経ニュース読者ランキング2位は、『UFOとの遭遇に備え、「手順定めたい」河野防衛相』。

河野防衛相は28日午前の記者会見で、「万が一自衛隊機のパイロットがUFOに遭遇した際の映像の撮影や報告の段取りについて航空自衛隊をはじめとする各自衛隊に検討を求めた。」と述べた。

 

記事によれば、残念ながら日米政府がはっきりとUFO-宇宙人の存在を認めたというのではないが、少なくともそうしたUFO情報がガセではない、考慮の必要があると公式に発表したわけで、これから科学的な検証が行われる可能性がある。

今までの「信じるか信じないか」の議論から、「存在するかしないのか」の議論にランクアップするのだから、宇宙人オタクに片足を突っ込む私としては期待に胸がふくらむ。

(産経ニュースの読者にUFO好きが多い?というのも興味がわく点だが、、)

 

新型コロナのパンデミックが、まるで昔見た映画のようだと感じていたが、UFO関連でも、SF映画のような事態がこれから-何十年後か-起こるのだろうか、、。

H.G.ウェルズ『宇宙戦争』では確か、侵略してきた火星人は地球の病原菌に感染して壊滅するのだ。

なかなかタイムリー、、でもその皮肉を面白いと素直に思えないほどに、現在の世界は惨状に陥っている。

 

『未知との遭遇』もう一度、観てみようかな、、。

 

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2020年

4月

27日

Stay Home -Part2-

日本の”緊急事態宣言”には罰則規定がない。

海外では、ロックアウトされた街で市民が外に出ると、高額罰金を取られたり警官に追いかけられたりするそうだ。

日本国民は、政府にお願いされて外出を自粛する。あくまで自己判断だ。

 

先日、食料品を買いに駅前商店街に出かけた。

春の陽射しが気持ちよく、久しぶりに外へ出て思わず駆け出したくなった。

マスク外せたらなぁ、、。

商店街の通りに来てみると、まぁたくさんの人たちがそぞろ歩いている。

平日の昼間なのに、何かのイベントかお祭りの日のようだ。

 

「人、いっぱいいるね。」八百屋のおかみさんに話しかけた。

「そうなの。ここんところ凄いわよ。列になりそうなくらい、、。自粛なんて関係ないわよ。」

 

聞いて一瞬、みんな一体どうしたんだよ、3.11の時だってちゃんとしてたのに、と少し憤慨した。

でも家に帰って考えてみて、あっ、そっか、と納得した。

 

私は一人暮らしだから普段通りに引きこもっていればいいのだが(笑)、例えば、一家4人の家族が毎日一日中、そんなに広大でもない家の中に閉じこもっている状態を想像してみた。

23日は家族団欒かもしれない。でも、それがずっと続いたらどうなるんだろう。

会社に行かないお父さん、外に遊びに行かない子ども達。お母さんは家族のマネージャー的存在だから、一番負担が大きい。

それぞれのストレスが、風船のように膨らんでいく。

事実、SNSではそういう悲鳴のような書き込みが増えているという。

自己免疫力の低下はストレスが影響するというから、万が一の場合、ウィルスにつけ込まれてしまうかもしれない。家庭崩壊も怖い。

やはり、気分転換や軽い運動はどうしても必要なのだ。

 

それなら、、ということで思いつくのは、家からちょっとの距離の駅前商店街だ。

電車には乗らないけれど、駅に行くと、なんだか日常を少し取り戻したようで安心する。

名所の花見はできなかったけれど、あそこの病院の前庭に咲いている大きな桜の木を見に行こう、銀座で買い物はできないけれど、商店街にたしかリサイクルショップがあったわよね、渋谷のシネマシアターで見ようと思っていた映画、駅前Geoで探すか、、。

 

みんなが自分なりに考えて行動している。

外出禁止ではない、何の為の外出自粛なのかを考えて、身体の健康と心の健康のバランスを取ろうとしている。

政府も、感染を抑える策と経済を壊さない策のバランスを取ろうと一生懸命だ。

うまく乗り越えられれば、もしかして社会のいろいろな仕組みが今までより良くなるかもしれない。

日本、頑張れ!( 与党も野党も!)

まさに日本は今、大きな岐路に立っている。

国民も、情報リテラシーの向上が大いに求められていて、TVのワイドショーなどで流される根拠の疑わしい憶測、一部新聞の感情に任せたプロパガンダまがいの論説などに振り回される風潮は、もう本当に金輪際、消えて無くなって欲しいと心から思う。

 

とにかく、ここは国家・国民、頑張りどころなのだ。

 

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2020年

4月

22日

Stay Home -Part1-

今月7日に出た緊急事態宣言。

その日の夜、急にiPhoneが休眠してうんともすんとも言わなくなった。

これは大変な個人的緊急事態だ。

意を決して翌日、新宿の修理センターに出かけた。

 

センターで電池交換してもらうとすぐに正常に戻ったので、安心しながら通りに出て見慣れた街をぐるっと見渡して驚いた。

人出が大幅に減っているのは予想していたが、大きなデパートのショーウィンドウ殆ど全てにシャッターが降りていて、まるで深夜だ。

”当分の間、休みます”という張り紙がそこら中に貼ってある。

閑散としたALTA前の大きなスクリーンに、厚生労働省からの広報動画が粛々と流れていた。

普段はJ-Popとかの今時なMVCMだから、違和感に逆にギョッとした。

「わ~、なんてことだ、、。これは映画だ、、シン・ゴジラだ、、。」モヤモヤ思いながら西武新宿駅で電車に乗った。

一車両に私ともう一人、顔色の悪い青年しか乗っていない。青年は、下を向いてブツブツ何やらずっとしゃべっている。

発車までだいぶ時間があるので、そっと席を離れて他の車両に移った。

 

天気は良い、春だ、iPhoneも直った。

なのに、不安で心配でしょうがない。

自分のこともそうだが、日本、これからどうなるんだ~、と思う。( 世界を見ると、もっともっと大変な事になってるんだが、、。)

悲観論や陰謀論がメディアにあふれていて、ただでさえ気持ちが暗くなっているのに追い打ちをかけてくる。

 

せめて心だけは明るくしていようと思う。

きっと絶対、良い方向に向かうと信じようと思う。

 

***Part2に続く***

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2020年

4月

16日

さらに二言、、。

先月から始まった外出自粛。

今月は緊急事態宣言が出されて、さらに状況は厳しくなっている。

普段からほぼ引きこもりなので、外出するなと言われても全く問題ないと思っていたら、さすがにこれだけ長くなるとキツい。

大掃除でもするかと思い立ったが、部屋が狭いので、模様替えして隅々までひっくり返したが2日で終了。

サンドイッチマンもナイツも落語も、死ぬほど笑えても毎日というわけにはいかない。

もちろんピアノは弾くけれど、半日も弾けばアイディアが尽きてくる。

こんな時にと思って買い込んだ本は、ドトールなら何時間でも読めるのにすぐに飽きてしまった。

このところ集中力がなくなってるなぁ、、。

そうだ!映画を見よう!

ここで私は、大変な事に気付いた。

そして改めて、今は緊急時なのだと思い知らされた。

 

映画というと、私はホラーかSF・サスペンス以外、あまり関心が無い。( 数年に一度、好きな俳優さんができると何でも見ちゃうんだが、、笑)。

SFだったらエイリアン系かマトリックス系、近未来タイムパラドックス系か人類滅亡系--シリアスなものに限る。

つまり、私の場合「映画を見る=もの凄く緊張感がアップする」だ。

その緊張感は、刹那的なもの-例えば、戦闘シーンでやられちゃうかも-ではなく、もっと持続的な押しつぶされそうな圧迫感というか、破滅に向かう個人、あるいは集団を見守るというようなかなり深刻なもので、そういう絶望的な緊張感を感じる為に映画を見ると言ってもいい。

( こう文章に書くと、相当ヤバい奴か?私、、。)

 

何に気付いたかと言うと、緊急事態宣言が発令されてから一週間、この種の映画ー特にホラー映画を見たくなくなっているのだ。

『エクソシスト』を部屋を暗くして一人でワクワク見ちゃうような私が、ホラーは怖いから見たくないと思う、その事実にちょっとびっくりしてしまった。

きっと、2時間の緊張感に耐えるだけの気力を失っているのだ。

 

怖い映画を見ると言うのは、精神における筋力トレーニングやランナーズハイのようなもので、精神に負荷をかけることで高揚感を得るのだと思う。

けっこう鍛え上げられた私のホラー精神(笑)が、弱音を吐いている、、。

 

世界中がパニックに陥っている現在、私を含めてみんなが不安になっていて、歴史的な人類の危機を現実のものとして感じている。

これはフィクションではないのだ。

安心で安全な環境でこそ、ホラー映画は楽しめる。

現実とかけ離れた世界を見せてくれるからこそ映画は楽しいのであって、現実が映画みたいになってしまったら本物の恐怖でしかない。

 

ホラーやパニック映画はしばらくお預けだ。

それでも、じゃあ恋愛映画を見ようとはやっぱり絶対思わないんだが、、。

 

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2020年

3月

31日

ちょっと一言、、。

今月は、時代劇についてじっくり書こうと思っていたら、予想以上に世の中大変な事になってしまった。

世界中でパニックが起こり、これはまさに歴史的な人類の危機だ。

社会に不安が蔓延し、日常、何をするにも慎重に考えてからでないといけない。

自分の事、相手の事、そして見知らぬたくさんの人の事、、。

 


9年前にも考えた事だが、生命の危険があるような社会の非常時に、音楽を生業とする人間はどう行動するべきなんだろうか?

タイタニック号の楽団員のような崇高さは無理だとしても、音楽が必要とされるなら、ほとんどの音楽家は誠心誠意、最高の演奏をするだろう。

音楽が命より大事だとは思わないが、誰かの心を救う事はできると信じているから。

そういう奇跡のような力を音楽は持っていて、いつか聴く人を感動させ笑顔にするような演奏がしたいと、みんな一生懸命に練習するのだ。

 

ところが今回、自分がウィルスの感染源になるかもしれない、という恐れがあって、みんなの行動を縛っている。

演奏したいけれど、自粛するしかないという判断だ。

クラスター3条件と照らし合わせて、各自が熟慮して行動する、あまり楽観的にならない方が良いのかもしれない。

でも、必要以上の萎縮はかえって人々の不安を煽り、ウィルスにつけ入られるような気もするのだ。

なかなか悩ましい、、。

 

未知の敵に勝つために、美味しいものをちゃんと食べて運動し、楽しい事ばかり考えて免疫力をアップさせようと思っている。

ピアノもちゃんと練習しよう!

 

、、ん? 普段どおりってことか、、?

 

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2020年

3月

03日

コロナの居ぬ間に

新型肺炎のせいで家に引きこもりになったので、いつにも増していろんなことを、あぁでもないこうでもないと無駄に考えている。

「考えてもしようがない事は考えるな。」と、親や先輩や友人つまり、周りの人だいたいみんなに言われたと思うが、自分でもそうだと納得したにも関わらず、水面下で着々と(笑)いろんな考えがプクプク膨らんでいく。

昔は、友人とお茶しながら長々一席ぶって、だんだん付き合ってくれなくなって「なぜかなぁ、、?」と悩んだものだが、今、私にはブログがある ^ ^v

時々整理して外に出さないと頭の中がぐちゃぐちゃになるので、このブログには本当に感謝してもしきれない。

 

先日、ふと思ったのは『なんで私、時代劇が好きなんかなぁ?』である。

214日のブログで日本語について書いていて「あぁ、これから私の好きな時代劇は日本から消えてしまうのだ、、。」と悲しみにくれた。

大河ドラマや水戸黄門、大岡越前や立花登さんもいるし、そういう歴史ものはこれからもずっとなくならないはずなのに、何故なんだ、この悲しみは?

 

、、てな事で『時代劇』について、あれこれ考えてみたいと思います。

 

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2020年

2月

25日

総理!

日本の経済が大変なことになりそうで心配だ。

ネットでは、東日本大震災の時より悪くなるという見通しが出ていて、識者の見解がほぼ一致しているのが、”消費増税の影響”が大きかったということ。

今回の新型肺炎より以前の問題だと言うのだ。

ところが先日、政府は景気が穏やかに回復していると公式に発表した。

はぁ~?

 

なんだか安倍総理、最近やる気のない感じがするのは私だけかなぁ?

ほんと、どうしちゃったの、安倍総理?

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2020年

2月

14日

日本語は素敵だと思う

先日、銀行である手続きをしていて、渡されたパンフレットに”目論見書(もくろみしょ)”とあった。

金融関係では普通に使う言葉らしいのだが、”もくろみ”と聞いて、時代劇ファンとしては何となく『エチゴヤ的な悪巧み』を連想してモヤモヤした。

目の前の若い行員さんの晴れやかな笑顔をチラッと上目で見て、安心したのだが、、。

昨年、実家を手放した時に役所で、”名寄帳(なよせちょう)”なるものを申請した。 

不動産取引きでは重要な書類だそうだ。

これまた、江戸時代のお百姓さんたちが庄屋さまのお家に集まって「タロウ」とか「ハチ」とか自分の名前を書いて、、みたいなシーンをぼっと想像した。

どうも時代劇の影響が強過ぎる、、。

 

親の遺産相続の手続きで、”はら戸籍”というものを初めて見た。

家族の健康診断の履歴かと思ったら、個人の出生から全てを記した戸籍”で、はら”は”原”と書くとの事。

日本の土台の組織=金融業界やお役所では、日本語の古い名称がそのままに使われていると知って、改めて驚いた。

 

そういえば、陸上自衛隊の10式戦車は”ひとまるしきせんしゃ”と呼ばれる。

自衛隊の隊員は、午前10時をヒトマルマルマル、午後10時なら22時なのでフタフタマルマルと言うのだそうだ。

軍事で誤りを生まないように、という事なのだろうが、何となくカッコいいと思う私は危険な奴なんだろうか(笑)?

(Wikipediaより)


政治家や会社経営者がやたらと英語を使い、メディアも活字を使って普及させようとするものだから、コンセンサスとかインセンティブとかモチベーションとか、日本語で言えばいいのに、と思う時が多々ある。

「意識高い系」が氾濫しているような気がして、どうにも気持ちが悪い。

 

先日、ネットで知ってびっくりしたのだが、オックスフォード英語辞典に"hikikomori(引きこもり)“ という日本語が収録されている。

引きこもりは日本だけの現象でなく、先進諸国で社会問題になっているのだが、訳されずに日本語で表記・使用されているようだ。

食べ物や文化的なものは、翻訳するよりそのまま日本語を使うのが自然だが、"hikikomori”や”gaijin(外人)”、”kawaii(可愛い)”、”kaizen(改善)”とか、なんで~?と思ってしまう。

 

欧米で日本語が使われ、日本では日本語の英語化が進む言語のグローバル化が徐々に進行しているんだろうか?

もう既に定着した和製英語は日本語であるとしても、これからどんどんそうしたよく分からないカタカナ英語が増えていくって、ちょっとどうなんだろう?

 

明治の知識人たちは、西欧の概念を一生懸命、日本語で表記しようとして、自由・経済・哲学・芸術などの優れた訳語を創り出した。

あの時の100万分の一の気概も、今の知識人たちにはないんだろうな。

日本人である事よりグローバルな人材がもてはやされる時代だし、速度を求めれば仕方ないのかもしれない。

 

時代劇ファンとしては、そのうち鬼平も眠狂四郎も忠臣蔵も知らない世代が出現する未来を想像して、がっくり暗澹たる気分に陥る、、。

時代劇は、たとえ台詞が数語であっても物凄く説得力を持つ場面や瞬間がある。言葉の力だ。

江戸っ子のべらんめぇ口調や侍の武士語は、ずっと残していってほしいと思う。

 

あ、そうだ、落語がある!

古典落語、久しぶりに聴きたくなったなぁ、、。

 

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2020年

2月

13日

マスク

昼間、パン屋さんに買い物に行った。

なんとなくマスクをして行ったのだが、おかみさんが「マスク、今、どこに行っても売ってないですよ。昨日、ドラッグストアー3軒行ったけど売ってなくて、、。」と途方に暮れていた。

 

八百屋さんに行ったら、おじさんとおばさんが「マスクなんてしてもねぇ。手洗いよ、手洗い!マスクなんか無駄。」と言う。

 

咳をしている人が近くにいるともの凄く不安な気持ちになる、電車に乗れば外国人がいるかな~と疑心暗鬼だ。

でもマスクをしていると息が苦しい。

ネットも情報錯綜状態で、もうどうすりゃいいの?

久しぶりにストレスを実感した。

 

って事で、読みたかった本を買って観たかったDVDを借りてきた。

いわゆる「正常化バイアス」ってやつかな、街中がマスクだらけで逆に安心かも、と思ったりしている。

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2020年

1月

27日

新型肺炎

新型コロナウィルスによる肺炎が大変なことになっている。

国内の報道では楽観的な意見が多いが、専門家の間で相当深刻な状況になる可能性が高いと言われている。

 

もしパンデミックが起きたら、、、なんて恐ろしい事を考えたら、昔見た映画を思い出した。

『アウトブレイク』(1995年・米)  ダスティン・ホフマン主演。

確か、アフリカの小さな猿が感染源だった。

現実にはあり得ないSFみたいお話だと思っていたが、、。

そういえば『相棒 』(TV朝日)で、研究室で秘かに作られた細菌兵器が外部に持ち出されてしまう、なんてエピソードがあったなぁ、、。

 

さすがにあの国でも、そんな無茶苦茶なことになってないよね?

 

これからしばらく、どこへ行くにもマスクは必携のようだ。

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2020年

1月

26日

猫について -Part2-

『トムとジェリー』という米国のアニメがある。

1940年から製作されているというから、超ロングセラーの人気アニメだ。

うちの近所の小児科医院でも、待合室のテレビで子供たちが見ていたりする。 

 

猫のトムが、ネズミのジェリーをひたすら追いかけ回すドタバタ劇なのだが、塩コショウ振りかけて丸焼きにして食べちゃうぞというトムの邪悪な欲望が、ジェリーのスマートな機転と策略によって、毎回、見事に打ち砕かれる。

トムのやられ方があまりにコテンパンなので、こちらが泣けてくるほどだ。

いつも喧嘩ばかりの仇同士なんだが、時に共通の目的が生じたりすると、仲良く手を取り合って大奮闘する。

見る毎に、2人(2匹?)を愛さずにはいられなくなってしまう。

さすがアカデミー賞を受賞するだけあるのだ。

 

トムを見ていて思うのだが、そこそこ賢いのだけれどどこか抜けているというのが、一般的な猫のイメージらしい。

大昔、干支に入れるか入れないかって時にどじを踏んだみたいだし、未来のドラえもんも、ネズミ型ロボットに耳をかじられて大泣きしているから、古今東西、わりと正しい猫像のようだ。

本当に悪賢いヤツは別にいて、上手く立ち回ろうとして下手を打つダメな時の”ルパン三世”と微妙にかぶるキャラクターかも、、。

 

でも、本当の猫は、さすがライオンや虎と同じ祖先を持つ勇ましい戦士だ。

実家にいたオス猫は、勢力争いかメス猫をめぐる争いでどこかのボス猫と死闘を繰り広げ、耳を食いちぎられ傷だらけで帰って来た。

自分と同じくらいの大きさのカラスとガチで戦い、戦利品としてそのカラスの死骸を家の中に引きずってきた猛者猫もいた。

子猫のうちから、トカゲや昆虫を追いかけておもちゃにして遊ぶ。

猫は、狩りをする動物なのだ。 

爪をとぎ、鋭い牙で肉を食む。敵を威嚇するときの形相は、エイリアンさながらだ。

昨年、ラグビーW杯が開催されて日本中が熱狂した。

私はあまりラグビーについて知らなかったので、選手がぶつかり合うゲームの激しさに驚いた。まさにボールを持った格闘技だ。 

鎖骨が普通に折れちゃうらしい、、。

もの凄い気迫で敵に立ち向かっていく、絶対に負けない、死んでもいいくらいの覚悟で挑む。

リングの上のボクサーも同じだ。

闘う本能と言うか凄まじい闘争心を目の当たりにして、見る人は感動し、美しいなぁと思う。

 

私は女なので、死ぬ気で闘うなんて、ついぞ考えた事がない。

気に入らないヤツをグーで一発やりたくなる時はあるが、本当にやった事はない(笑)。

闘争心というのは、とても男性的なものに見える。

特に「One for All」の精神で闘うという事は。

 

狩をする、家族を外敵から守る、水や食料の為に近隣と争う、安定を求めて他を征服する、、。太古の昔から続くこういう一連の行動は、種を存続させるためにDNAに組み込まれている、人類の本能なのだと思う。

それはずっと、力を持つ男性がやってきた役割で、だから女性は闘う男性を支え、送り出し、暖かく迎え、愛を持って励ましてきた。

 

闘う本能の発露として狩りをするという行動があるならば、そういう習性を持つ仲間という意味で、身近にいる動物の中では、猫が一番近いんじゃないだろうか。

犬も、狼が祖先だから攻撃性は残っているのだろうが、何万年も前に人に家畜化されてしまった。

今では人間の良い友だち、忠実な部下であり、狩りのアシスタントだ。

やっぱりちょっと違うんだよなぁ、、。

そして、狩猟の習性を男性に与えられた本能とみるなら、文明社会で普通に飼われているペットの中で、猫がもっとも男性的といえる。

 

女性に猫好きが多いというのも、もしかしてそこら辺に理由があるのかもしれない。

む~、ものすご~いこじ付けなんだが、、(笑)。

因みに、猫は絶対に「One for All」なんて考えない。

 

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2020年

1月

18日

猫について -Part1-

猫派と犬派、好みがわりとはっきり分かれるので、性格判断によく使われるようだ。

猫派は気まぐれ、犬派は誠実とか、恋愛の攻略法にも一役買っているらしい。 

 

私はどちらかと言えば、猫が好きだ。

犬のあの真っすぐな眼差しがどうも苦手だ。

何かを期待されているようで、どうも落ち着かない。

忠実さの後ろにある諦念というか、運命を悟ったような悲しみを感じて、こちらの勝手な思い込みなのだがすごく可哀想な気持ちになって、手を(足を?)とって「大丈夫だからね。」と励ましたくなってしまう。

 

そこへいくと猫たちは気楽だ。

自分のこと以外、ほぼ関心がない。

そのくせ餌をくれる人は誰かちゃんと分かっていて、お腹が空くと甘えて擦り寄ってくる。

その小賢しさがなんとも微笑ましい(笑)。

そんな自分勝手な集団の中に、たまに、親とはぐれた子猫や頼りない若い猫たちの面倒をみようとする心優しい大人猫もいる。

たぶん、人間で言えば”民族”のような違いが猫にもあるんだろう、私の家にいた10匹(!)くらいの猫たちも、それぞれの個性や性格があった。

 

でも総じて、猫たちは人間を”主人”とは思っていないし、自分の子分くらいに思っているツワモノもいる。

そこらへんが、犬と大きく違うところだ。

『岩合光昭の世界猫歩き』(NHKBS) という番組があって、猫好きの母と一緒によく見ていた。

岩合さんは、世界中の街角、観光地や田舎にいる普通の猫たちの日常を撮影している著名な動物カメラマンだ。

猫たちが可愛いからだけではなく、彼らのそれぞれの生き様が愛情を持って映されていて、毎回見ていて飽きなかった。

 

    (岩合光昭氏 無料壁紙より)


中でも印象に残っているのは、南ヨーロッパにある大きなぶどう園で、ネズミを退治するために飼われている猫のお話だ。

ぶどう園には、牛や馬や豚や鶏などの家畜も飼われていて賑やかな動物大家族のようになっているのだが、ちょっと離れてちょこんと座っているその猫さんの、なんと凛々しいこと!

まるで、威厳ある一家の家長の風情だ。

自分より大きい動物、強そうで偉そうな動物がいようと全く関係ない。自分の存在こそ全てであるその誇り高い勇姿は、ニーチェが絶賛しそうな”超猫”である。

 

猫は、とにかくカッコいいのである。

うらぶれた路地裏の野良猫さえ、不遜不敵な面構えをしている。

飼い猫であれば、寝ているご主人の顔を踏んでいくとか抱き上げようとすると怒るとか、、(笑)。

身のこなしは実に優雅で、時に攻撃的だ。

まさに猫というのは、”眠狂四郎”である、、。品行不良・独立独歩で美しい。

 

甘えた眼差しで見上げるマルチーズは、やっぱり私は苦手なのだ。

 

***Part2に続く*** 

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2020年

1月

09日

☆2020年☆

遅ればせながら、明けましておめでとうございます!

今年もどうぞよろしくお願いします。

 

ネットでFBを見ていたら、日頃お世話になっているライブハウスのスタッフ一同が、黒服に猫ヒゲでキメポーズしていたので、思わず「猫、Kawaii~!」とコメントした。

するとすぐ、「アハハ 💦 田崎さん ネ・ズ・ミ」と返事が来た。

む~、そっか、、。今年の干支はネズミだった、、。

ネコ年だったらよかったのに、、。

 

ついでだから、「なぜ猫年がないのか」ネットで調べてみた。

 

お伽話のようなお話はいろいろあるが、これといった明確な説明はないようだ。現在の干支が始まった中国・後漢の時代、猫がそれほどポピュラーな動物ではなかったというのが一番尤もらしいが、私は、最初に干支の動物を決めた人が、強力な猫アレルギーか極端な猫嫌いだったんではないか、と睨んでいる。

実際、私の知人が猫アレルギーで、大昔にもアンチ猫派は相当いたはずだ。

それか、トラに含まれちゃったとか、、。親分のトラが入っているから、君はいいよね?とか、、。

 

想像の動物-竜まで干支に入っているのに、こんなに身近な猫がいないなんて、改めて気付けば残念でならない。

 

新年早々、わが愛する”猫”についていろいろ考えてみた。

因みに、私の家にペットはいない。

 

***次回に続く*** 

私のスマホの待ち受け写真。

ネットで見つけたんだけど、”伸び~”の顔があんまり気持ち良さげで、見るたびに和んでしまう。

 


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