猫について -Part2-

『トムとジェリー』という米国のアニメがある。

1940年から製作されているというから、超ロングセラーの人気アニメだ。

うちの近所の小児科医院でも、待合室のテレビで子供たちが見ていたりする。 

 

猫のトムが、ネズミのジェリーをひたすら追いかけ回すドタバタ劇なのだが、塩コショウ振りかけて丸焼きにして食べちゃうぞというトムの邪悪な欲望が、ジェリーのスマートな機転と策略によって、毎回、見事に打ち砕かれる。

トムのやられ方があまりにコテンパンなので、こちらが泣けてくるほどだ。

いつも喧嘩ばかりの仇同士なんだが、時に共通の目的が生じたりすると、仲良く手を取り合って大奮闘する。

見る毎に、2人(2匹?)を愛さずにはいられなくなってしまう。

さすがアカデミー賞を受賞するだけあるのだ。

 

トムを見ていて思うのだが、そこそこ賢いのだけれどどこか抜けているというのが、一般的な猫のイメージらしい。

大昔、干支に入れるか入れないかって時にどじを踏んだみたいだし、未来のドラえもんも、ネズミ型ロボットに耳をかじられて大泣きしているから、古今東西、わりと正しい猫像のようだ。

本当に悪賢いヤツは別にいて、上手く立ち回ろうとして下手を打つダメな時の”ルパン三世”と微妙にかぶるキャラクターかも、、。

 

でも、本当の猫は、さすがライオンや虎と同じ祖先を持つ勇ましい戦士だ。

実家にいたオス猫は、勢力争いかメス猫をめぐる争いでどこかのボス猫と死闘を繰り広げ、耳を食いちぎられ傷だらけで帰って来た。

自分と同じくらいの大きさのカラスとガチで戦い、戦利品としてそのカラスの死骸を家の中に引きずってきた猛者猫もいた。

子猫のうちから、トカゲや昆虫を追いかけておもちゃにして遊ぶ。

猫は、狩りをする動物なのだ。 

爪をとぎ、鋭い牙で肉を食む。敵を威嚇するときの形相は、エイリアンさながらだ。

昨年、ラグビーW杯が開催されて日本中が熱狂した。

私はあまりラグビーについて知らなかったので、選手がぶつかり合うゲームの激しさに驚いた。まさにボールを持った格闘技だ。 

鎖骨が普通に折れちゃうらしい、、。

もの凄い気迫で敵に立ち向かっていく、絶対に負けない、死んでもいいくらいの覚悟で挑む。

リングの上のボクサーも同じだ。

闘う本能と言うか凄まじい闘争心を目の当たりにして、見る人は感動し、美しいなぁと思う。

 

私は女なので、死ぬ気で闘うなんて、ついぞ考えた事がない。

気に入らないヤツをグーで一発やりたくなる時はあるが、本当にやった事はない(笑)。

闘争心というのは、とても男性的なものに見える。

特に「One for All」の精神で闘うという事は。

 

狩をする、家族を外敵から守る、水や食料の為に近隣と争う、安定を求めて他を征服する、、。太古の昔から続くこういう一連の行動は、種を存続させるためにDNAに組み込まれている、人類の本能なのだと思う。

それはずっと、力を持つ男性がやってきた役割で、だから女性は闘う男性を支え、送り出し、暖かく迎え、愛を持って励ましてきた。

 

闘う本能の発露として狩りをするという行動があるならば、そういう習性を持つ仲間という意味で、身近にいる動物の中では、猫が一番近いんじゃないだろうか。

犬も、狼が祖先だから攻撃性は残っているのだろうが、何万年も前に人に家畜化されてしまった。

今では人間の良い友だち、忠実な部下であり、狩りのアシスタントだ。

やっぱりちょっと違うんだよなぁ、、。

そして、狩猟の習性を男性に与えられた本能とみるなら、文明社会で普通に飼われているペットの中で、猫がもっとも男性的といえる。

 

女性に猫好きが多いというのも、もしかしてそこら辺に理由があるのかもしれない。

む~、ものすご~いこじ付けなんだが、、(笑)。

因みに、猫は絶対に「One for All」なんて考えない。