ネット民:「1日のうちかなりの時間をネットに費やしている人物、あるいは単なるネットユーザー、またはネットユーザーの中でも特にインターネットを「社会」としてみなしているような人物を意味する語。」(weblio辞書より)
だいぶ前からTVを見なくなって、日々のニュースはもっぱらネット配信、見たいコンテンツは殆どYouTubeだから、私はきっと紛れもないネット民だ。
でも、動画サイトのチャット欄やX(旧ツイッター)に意見を書き込むとかは、一度もやったことがない。
FBに時折、”私ごとのお知らせ”をアップするくらいだ。
このブログであれこれ書くのは、意見表明というよりただ文章を書くことが好きで楽しいのと、ずっと後になって「あの時、こんなこと考えてたんだ!」と驚き呆れるのもきっと面白いだろうと思うからだ。
SNS界隈ではしょっちゅう”炎上”という現象が起こって、たくさんの匿名の人たちが言いたい放題の本音コメントを書く。
そういう文章をたまに目にすることがあるが、言葉使いが丁寧だったり意見が肯定的、あるいは建設的であっても、なんとなく読んでいてモヤモヤする。
多くの人に聞いてもらいたい、書き込みをするほど良い意見だと思うなら何故、匿名にするんだろう?
もっと不思議なのは、公の場で人を罵る、貶める行為が、匿名なら恥ずかしいことではなくなるんだろうか?
あえて匿名の群れの中で言いっ放しの言葉を残す—その行動へと向かう原動力、気力や情熱がどこから来るのかさっぱり分からないので、その意味では、私は世間で言うところの”ネット民”ではないのかもしれない。
そして、weblio辞書が定義する”インターネットを「社会」としてみなしている”と言うのもちょっと違う気がする。
私にとってインターネットは「情報を集める為の大事なツール」で、それ以上でもそれ以下でもない。
インターネットというのは玉石混交の知識のジャングルみたいなもので、道を間違えるととんでもないことになってしまうというのはいつも思っていて、夜空の北極星のようなしっかりした指針がない分、とても危険ではある。
それでも、大手メディアが伝えないさまざまな事実を世界中のさまざまな人たちが発信していて、それらを読んだり見たりすると、驚くやら感動するやら腹を立てるやらで日々忙しい。
世の中には、知らないこと、知らなければいけないことがたくさんある。知らない方が良かったことだってある。
でも、そういう未知の事があるということすら知らずにいるのは、なんだかめちゃくちゃ人生で損をしているような気がする。
TVや大手新聞が、情報源としてまったく信用できないと確信したのはいつだったかなぁ、、。
もしインターネットがなかったら、、と想像すると本当に怖い。
そこらへんのことを、少し考えてみようと思う。
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