スマホやPCを使うようになって、すっかり文字を書かなくなった。
手紙も書かなくなって、いざ文章を書こうと思うと漢字が思い出せない。
あれ、横棒一本だっけ?
ここに点、いるんだったっけ?
む〜、字ヅラも思い浮かばない、、。
お店や郵便局で宅配便を頼む、仕事先で領収書に自分の名前と住所を書くとか以外、ペンを持つ事がない。ペンで何かを書くような機会がほぼない。
その一方で、毎日ネットでニュースを読み知識人のコメントをふむふむと聞いたりして、昔のことわざや古風な言い回し、難解な政治・軍事用語なんぞをしばしば目にし耳にする。
なんのこっちゃ、どういう意味だと調べてみると、解説欄にそれらしい漢字がいくつも並んでいる。
へ〜、こう書くんだと感心しつつ、その都度スルッと読み飛ばしてしまうので自覚がなかったが、ふと気付くとあまりに漢字を忘れている。
小学生の時、漢字ドリル帳に30回とか50回とか書いて、宿題もテストも一生懸命頑張ったのに、、。
という事で、目に留まった漢字があったら1つでも2つでも、少し大きくメモ用紙に書いてみることにした。
この習慣を始めたのにはもう一つ理由があって、数年前に新潟の実家を売却した時、父と母が残したものすごい量のメモ用紙があったのをそっくりこの家に持ってきていて、大事にとっておくようなもんでもないだろうとせっせっと大量消費に踏み切った。
なんでもスマホの時代に、最終電車の時間を書いたメモ用紙をやおら取り出すと、友人たちはさすがに引く(笑)。
『モジナビ』というサイトで調べると、字の意味や書き順を丁寧に教えてくれる。
最近調べた中で特に興味深かったのは、お惣菜の”惣”の字と松濤の”濤”の字。
”惣”は、物に心と書く。
夕ご飯のおかずにも作った人の心がこもっているんだよなぁ、、なんてきんぴらごぼうを食べながら思う。
”濤”は、「海中に高くうねって起こるなみ」の意味だ。
実際に書いてみると、海中でそこかしこに水が渦巻いているように見えて、”松濤”とはまさに一幅の絵だ。
一つの文字の中に、古代の歴史や様々な意味があり、水墨画のような美しさもある。
よくぞ先人たちは、このとてつもなく貴重で意義深く、日本語を表すのに効率的な文字-でも覚えるのにめちゃくちゃ苦労する(泣)-を千年以上継承してきてくれたものだと思う。
*漢民族を主要な民族とする国以外で、現在まで漢字を日常的に使用している国家は、日本だけである。-(Wikipedia『漢字文化圏』より)
どこかの首長(くびちょう)さんが、「これからは多文化・多言語の時代。地域の公用語を英語にする!」とか言い出しているらしい。
狂気の沙汰だと思う。
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