先月の国葬儀以降、いろいろな所で「人としていかがなものか」とか「人間としてどうなの?」という意見を多く聞いた。
黙祷の時間に合わせるように、太鼓やタンバリンを打ち鳴らしたり大声で叫ぶ人たちがいたからだ。
「人として」とか「人間として」という言葉は、日ごろ穏やかな日本人にとってかなり深刻な怒りの表現だ。
馬鹿とかアホなんてレベルじゃない、なんてとんでもないヤツらか!という事だ。
「人として駄目」の先には、「人でなし」という、一度言葉にしたら取り返しがつかないくらいの強い罵りの一語がある。
その一歩手前で止めておくことは日本人の礼節だろう。
「人でなし」という言葉は、日本独特な感じがする。
「人でなし」→人ではない、、。
西洋文化なら、人間以外はすなわち-神をのぞけば-動物か悪魔か吸血鬼等の怪物になる。
( ホラー好きは、もしかして偏ってる…? )
米映画などを観ていると、「人ではない」と言うセリフは宗教的な意味合いを持つことが多い気がする。
それに対して、日本語の「人でなし」に宗教的なニュアンスは全く無い。
日本人が「人ではない」という時、ほとんどが道徳的・人道的な批判だ。
昔読んだ『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ベンダサン著)に、日本人は人間教信徒だと書いてあったのを思い出した。
日本人は無宗教だと言われるが、人間はかくあるべしという強い信仰を持っている、日本人は生まれながらの日本教=人間教の信徒である、というようなことだったと思う。
「人でなし」は、そういう意味では、日本人が無自覚ながら固く信じる教えに反するバチ当たり者・日本教の異端者だとも言える。
国葬儀で騒いで、多くの人から「人として」と眉を顰められた方々は、日本人の怒りを重く受け止められた方がいいのではないだろうか?
日本人の心を忘れてしまった方々は、人間教をもう一度学び直したら今とは違う風景が見えてくるのかもしれない、、。
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ぅぉ (金曜日, 07 10月 2022 00:46)
この国では、すべて、おてんとう様がみてるんだww
いゃ、それだけです。
michiko (金曜日, 07 10月 2022 07:33)
ほんとそう思う ^ ^
でも、おてんとう様はバチ当てないんだろうなぁ、、。