MIDI

少し前の話しになるが。

 

今年2月9日、アメリカ音楽界において音楽産業への貢献を讃えるグラミー技術賞というのが、日本人個人としては初めて、音楽機器メーカー・ローランドの創業者、梯郁太郎さんに贈られた。

1983年、キーボードなどの電子楽器とコンピュータ、あるいは電子楽器同士で演奏情報や音色などのデジタル・データをやりとりする世界標準企画「MIDI」が発表された。梯氏はその制定に尽力したのだ。

 

シンセサイザーやアレンジの仕事をしていた何十年(!)も昔、音楽業界で最先端の仕事をしている人達を間近で見ていた。

シンセサイザーの音作りがアナログからデジタルに移行し、サンプラーが安価になってキーボード奏者のテリトリーが激増し、ProToolsの出現でアレンジャーの仕事が一変し....。めまぐるしく変化する現場で、いち早く情報を得て素早く対応していく時代に鋭い人達。

残念ながら私にはそこまでの適応能力は無かったけれど、彼らの側にいることで、音楽が創られる環境の変化をまざまざと目撃し、その変化の波を身を以て感じた。

 

その全てが、MIDIという全く新しい企画によって始まった。

企画が発表される直前、業界でも名の知れたキーボーディストの友人が「凄い、凄い!」と興奮しながら話してくれたあの時の状景が今でも忘れられない。何だかもの凄い時代になるのだ、、そんな”わくわく感”と”良く分かんない感”がごちゃまぜになって、一緒になって興奮した。

 

MIDIのお蔭でキーボーディスト、アレンジャーの出来る事が加速度的に増えていき、要求されるレベルも上がり、機材が多様化しラックもどんどん積み重なり、音楽をやっているのか機材の勉強をしているのかよく分からない状態になった。

作業を分担するとか専門に機材を扱う人とチームを組むとか、やり方を考えないと生き残っていけないなぁ、なんて考えていた時にJazzに出会った。

最初は、鍵盤を思い切り弾きたい、とか、Jazzを勉強する事で仕事の幅が広がればいいな、とかぐらいの気持ちだったのに、いつのまにか真剣にやりたいと思うようになった。

そして今に至る....(笑)。

 

MIDIの世界で仕事をしていたあの当時の事を思い出すと、例えて言えば、大海で群れをなして泳ぎ回るsoundという魚たちを網で陸揚げし、綺麗に加工して酢でしめたりオリーブオイルをまぶしたりして多くの人に食べてもらう工夫をしていた。

今、小さなお店でJazzを演奏しながら感じるのは、頭をぶつけたり群れから飛び出たりして仲間に迷惑をかけながら、まがりなりにもsoundという魚たちと一緒に泳いでいるという事だ。いつか大海で、大きな群れやイルカや鯨にも出会いたいなぁ、、なんて夢も時々見たりする。

 

今では当たり前になったMIDI。

オーディオデータも普通に使えるようになって、そうした知識は一般常識に近いレベルまで浸透した。

音の海の中で不器用にも楽しく泳ぎ回りながら、遠くの対岸で忙しく行き交う光の波の世界を眺めてみる。

懐かしくもちょっと眩し過ぎるその世界を離れて、脇目もふらずこんなに遠くまで泳いできたんだなぁと思う。

そして、もっともっと先に広がる大海原の方に目をやるとわくわくするような別世界があって、そこで天才たちが丁々発止、熱く渦巻くような音の会話をしている。

その会話の意味をなんとか理解したくて、暇をみつけては辞書ならぬピアノの前で日々悪戦苦闘するのだ(笑)。