父母の写真 -Part1-

先日、新潟の実家の売却が決まった。

 

20131月に父が倒れ、急遽、新潟に居を移した。

母一人ではいろいろと無理なので、一刻も早く帰る必要があった。

新潟では、慣れない家事をふうふう頑張り、父がいる病院にほぼ毎日通った。

4ヶ月後に父が亡くなり、その9ヶ月後に母が、父を追いかけるように亡くなった。

目の前の出来事があまりに次々移り過ぎていって、とても現実の事と思えなかった。

一周忌が終わっていろいろな手続きが済むと、ぼんやりと東京に戻ることを考えた。

偶然、以前住んでいた所から目と鼻の先にあるマンションに空室を見つけ、20146月に引っ越した。

 

いやぁ、めまぐるしかった、、。その間の記憶が所々、見事に飛んでいる。

頭の中のほんの一部分だけが一生懸命に働いて、日々、初めて経験するようないろいろな出来事を何とかこなしていたような気がする。

脳と心の大部分が、ほとんど停止状態にあった。

 

東京に戻ってから4年間は、ずっと毎月、新潟の家に帰っていた。

父と母の生活の余韻を惜しみ、地元の友人たちや親戚と会って昔話で盛り上がった。美味しい物もたくさん食べた。

終の住処を東京にするか新潟にするか、そう迷うこと自体が、今思えば幸せな時間だった。

 

今年の春、新潟の家を処分することを決めた。

この家は父と母の家なのだ。父も母も居なくなったこの家は、あの時から少しずつ魂が抜けて行って、もうほとんど空虚な顔になりつつあった。

そう気付いたら、私が最後を見届けないといけない、と思った。

 

遺品の整理は、思い出に浸りながらゆっくりゆっくりやるので遅々として進まない。

それでもほぼ終わりが見えてきて、最後に残ったのが写真だ。

父も母も交際範囲は広く、旅行や友人たちとのたくさんの写真が残っている。

量が半端ない上に、二人とも写真の整理については全く無関心、というか放置状態で、家中から集めてみたら小山のように高く積み上がった。

さて、どうしたものか、、途方にくれた。


200ピースのジグソーパズルが数十セット、むちゃくちゃバラバラになったような混沌の中から、父と母の屈託のない笑顔があちこち見えて、「もう~、、。」と思わずため息をついた。

 

***Part2に続く*** 

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コメント: 4
  • #1

    ぅぉ (土曜日, 07 12月 2019 23:46)

    すごいなぁ 田崎さん 私には 無理な作業の数々です。

  • #2

    michiko (日曜日, 08 12月 2019 13:15)

    いやいや、無我夢中で、、。
    でもやっぱり、両親が大好きだったから出来たのかな、と思います。

  • #3

    ぅぉ (月曜日, 16 12月 2019 17:26)

    写真は業者に頼んでデジタル化と言う手がありますよ。
    お高いかもしれないけれど。 ていうか日付とか書かれてないと
    整理も大変そうですね。

  • #4

    michiko (火曜日, 17 12月 2019 08:37)

    ぅぉさん、ありがとうございます!
    そっか、デジタル化という手があるんですねぇ。
    これから、YouTubeでも見ながらゆるゆるやります。
    ただでさえ狭い我が家が、実家から運び込んだ物でごちゃごちゃになっていて大変です、、。ふ〜、、。