ポワロ -Part4-

クリスティー作品の魅力の一つは、事件の舞台にゴージャスな場所がたくさん登場することだ。

 

オリエント急行やエジプトのクルーズ船、メソポタミアの遺跡旅行や地中海のリゾート、大富豪の広大な邸宅には執事がいて、着飾った紳士淑女たちが銀食器の並ぶディナーの卓に着く。

こういうのはイギリスの上流社会で長年に渡って根付いた文化なので、そうと知っていれば全くわざとらしさを感じない。

ポワロは、身分は私立探偵だが、裕福な依頼人たちから事件解決で多額の謝礼金を貰うらしく、身なりから住まい、宿泊するホテルまで一流である。

下宿屋に住んで貧民街や阿片窟にも出入りし、裏社会にまで通じていたシャーロック・ホームズとは大違いだ。

 

ドラマのポワロシリーズを見る女性たちは、登場する貴婦人・紳士のファッションや小物に目を凝らし、泊まる高級ホテルのアメニティグッズ一つ見逃さない。

お洒落で洗練されたポワロの佇まいは、そういうファンたちの眼鏡にかなう。

彼は、完璧な上位階級の住人なのだ。

 

そんな贅沢な雰囲気の中で殺人事件が起こるという設定は、日本のミステリーではなかなか成功しない。どうにも嘘くさい。

人物に文化が漂わないから、悪く言えば成金趣味にしか見えない。

ITで成功した社長とか投資家とか、ただ財産をたくさん持っているだけでは駄目なのだ。

 

上流階級は歴史を通じて閉鎖的であり、良くも悪くも独特な作法を持っている。

日本の場合、戦前を舞台にした横溝正史の作品なんかに、華族という身分の人たちが登場する。子爵や伯爵だ。

そこで描かれる華族たちは、格式はあっても華やかさがない。日本に社交界という制度がなかったからか、”侘び寂び”の美意識のせいか、、。

特権を持つ者の矜持と義務感は武家制度と共に滅び、俄仕立ての社交界は欧州のものとは別物だった。

 

イギリスでは、出自による身分制度が歴史的にすっかり定着していて、今を生きる人々の意識にまで深く浸透していると聞く。

最上位のUpper Classの生活は、現代でも憧れをもって見られているのだ。

筋金入りの階級社会だから、日本のように財産によって若干の格差がある、なんてのとはレベルが違う。

越えられない壁を、国民自ら好んで維持しているようにも見える。

民衆の中心にいた日本の天皇と、民衆の頂点にいたイギリス国王の差というのか、国民の考え方として、階級による差違を当然のことと認める空気がイギリスにはあるんだろうか。

 

そうした意味で、ポワロシリーズで醸し出されるハイソサエティな雰囲気はリアルである。

莫大な遺産を巡る殺人事件というのも、かなり現実的なお話なのだ。

 

物語には、ほとんど働きもせずに親族の資産家に寄生し、遺産をあてに生活している人たちがいっぱい出てきてちょっと驚く。

叔父さんや叔母さん、姪だの甥だの養子や義理の子や恩人の娘まで、まぁ様々な縁で人が集まっている。

元気な若者が昼間からぷらぷら遊んでいても、身分制度のお墨付きがあるおかげで、誰から文句を言われるでも変に思われるでもない。

 

ポワロの相棒、ヘイスティングス大尉もイートン・カレッジ出身だからバリバリのUpper Classだ。

ポワロの捜査に付き合う暇も財力もあるし、趣味はゴルフと車、たまに投資に失敗して落ち込むことはあっても、生活に困るようなことにはならない。

いい大人が暇を持て余して探偵のお手伝い、高級車に乗ってゴルフ三昧というのは、いかにもイギリス的かもしれない。

 


日本の有名な探偵、金田一耕助はどう見ても貧しく、明智小五郎の助手は15歳の少年である。

彼らは上流階級でも財産家でもなく、趣味で探偵をやっているような非常に変わった人たちだ。

そして現代の日本の名探偵は、警視庁か科捜研にいてちゃんと通常のお仕事をしている。

 

閑人(ひまじん)の大人は、日本では変人扱いで肩身の狭いのが普通である。

士農工商の区分があった江戸時代であっても、働かない者に対する風当たりは強かった。

時代小説によく出てくる旗本の次男坊や三男坊は、暇を持て余して悪さをするどうしようもない奴って役回りだ。

彼らは”部屋住み”と呼ばれ、とっとと他家に養子に出されるか一生ごくつぶしの境遇で過ごす。

裕福な商家でも、放蕩が過ぎる跡取り息子は、親族会議で勘当と決まるとさっさと家から追い出された。

 

労働に対する国民意識の違いというか、日本はみんなが平等に真面目に働く社会なんだなぁ、、。

 

ポワロのゴージャス・ワールドについて書こうと思ったのに、とんでもない方向に話が行ってしまった。

まぁ、ハイソサエティに塵ほども縁がなく、贅沢な暮らしには想像力がまったく働かないのだから仕方がない。

ポワロは、別世界の人だからこそ魅力的なのだ。

 

ドラマ『名探偵ポワロ』が、イギリスの良き時代--第二次世界大戦後に植民地の大半を失い、衰退に向かう大英帝国の最後の輝かしい時代--1930年代のイギリスを背景に制作されたというのも、とても意味深い事だと思う。

ポワロと登場人物たちは、その時代のクラシカルなお洒落がどんなに素敵だったか、上流社会の人々の洗練された振る舞いがどんなに優雅だったか、さりげなく見せてくれる。

そんなところに英国人たちのプライドを感じて、イギリス好きの私なぞは一人にんまりしてしまうのだ。

 

***Part5に続く***