森鷗外-Part5-『半日』について

***Part4より続く***

 

前回の記事で、「次回は、文京区千駄木の森鷗外記念館に行きます^ ^」なんて、珍しく前向きな事を書いてみたはいいが、最近なぜだか忙しく、せっかく暇でも雨が降り出したりで、鷗外記念館訪問は来月に先送りとなってしまった。

 

そこで今回は、鷗外の問題作『半日』について書いてみようと思う。

なぜ問題作かというと、この作品は、鷗外の私生活の秘密の暴露なのだ。

 

発表当時、誰が読んでも「あ、鷗外夫婦の話である。」と分かるくらいあけすけに、森家の台所事情まで晒して、嫁姑の御し難い仲の悪さを夫の立場から客観的に書いている。

嫁の気持ち、姑の言い分までちゃんと書いた上で、「もうお手上げである。」と降参しているのだ。

嫁が呪詛のように繰り返す姑に対する不満や悪口の合間に、置き時計の音が静かにチクタクと鳴るのがホラー映画のように不気味だ(笑)。


鷗外の妻シゲさんは、作品が雑誌に発表された時「なんてことするのよ!」と大慌てだったろうと思う。

石川啄木も、読んでびっくりしている。

世の中の人はたいてい驚き呆れたと思う。

そして鷗外は、態度が改まらないようなら第二作めを出すぞ、と妻シゲさんに宣告するのだ。

そう言いつつも、お前も小説を書いてみたらどうだと勧め、妻が書いた原稿を赤ペンでびっしり添削している。その赤ペンで真っ赤になった原稿を持って、シゲさんはいそいそと出版社を訪れるのだ。

 

なんかいいなぁ、、と思う。

鷗外は意地が悪いとか冷たいとかいう人がいるが、私はそう思わない。

 

森家の嫁姑問題はかなり深刻であった。

鷗外も苦慮のあげく、日本で最初の二世帯住宅ー嫁と母が家の中で顔を合わさずにすむ造りーを考案している。

現代も続く永遠の難問題を解決するなんて事は、家族制度が根本的に変わらない限り不可能に近い。

 

小説の中で「博士」は、「奥さん」のいつもの理不尽な悪口と罵りに怒りと諦めを感じながらも、御所に参内する公務を休んでまで『半日』延々と「奥さん」と対峙する。

机と火鉢を隔てて「奥さん」と真正面から向き合うのだ。

これってある意味、凄い事じゃないだろうか?

 

妻の癇癪に、「また始まった...。」と逃げ出す、耳をふさぐ、他の場所に楽しみを見つける、離婚して追い出す、、まぁいろいろな対し方があるだろうが、この「博士」は実に辛抱強い。

過去何回もこうした話し合いがあって、全部が実を結ぶことなく虚しく終わっている。

それにもかかわらず、「博士」は「奥さん」の訴えを半分聞き流しつつも無視することはしないのだ。

 

実際に鷗外は、周囲の離婚を勧める声にまったく耳を貸さず、晩年は夫婦水入らずの穏やかな日々を送っている。

 

鷗外という人は、目の前の問題に対して常に誠実であった。

自分の力が及ばない場合でも、精一杯我慢強く、誠実であろうとした。

 

『半日』を久しぶりに読んで、そんな事を思った。

 

***Part6に続く***