***Part2より続く***
鷗外研究者やファンにとって「エリス事件」の真相は、長年”最大の謎”だった。
エリスとはどんな素性の女性であったか、、。
多くの研究者たちが、下宿の娘・娼婦・ユダヤ人の人妻など諸説発表しているが、どれも確定に至っていない。
私も、近くの公民館でエリス研究についての講演があればいそいそと出かけて行ったし、新聞やネットでも気が付く限りチェックしていた。
明治の文豪・森鷗外が愛した女性である。、、まぁ私の場合は学問的探究心とは程遠く、この人がいかなる女性で鷗外と何があってどんな人生を送ったのか、純然たる個人的興味(笑)で知りたいと思った。
そしてついに2011年、多くの鷗外関係者が、これが真実であろうと得心する発見が発表された。
ベルリン在住のフリーライター・六草いちかさんが、エリスの本名が「エリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルト」であり、仕立物師の母親と暮らしていた事などを、大変な苦労の末に見つけ出したのだ。
Amazonの紹介では『永年の論争に終止符を打つ。日本文学史上最大の謎、森鷗外「舞姫」モデルついに発見!』とある。
本を読みながら、青年・鷗外が目の前に現れるような気がした。
古いドイツの街並みや道を走る馬車、手書きで記された当時の名簿、エリスと初めて出会った場所かもしれない教会の門の扉、、、それらの写真を通して生身の鷗外、森林太郎の横顔が浮かんだ。
本当のエリスの素性が発見された事で、これからの鷗外研究に新しい視点が加わる事になる。
六草さんのインタビュー記事がインターネットにあった。
(“ドイツNewsDigesut”の特集記事(2012.3/2)『生誕150周年記念・森鷗外とベルリン』より一部抜粋 )
*今回の執筆の過程を通して、六草さんは鷗外の人間像をどのようにご覧になりましたか?
「鷗外とはどういう人だったか?」、それを一言で表すなら「愛の人」だったと思います。
それは恋人や妻に対してだけでなく、友情だったり、母親や家族に対してだったり、人として愛する気持ちが強かったということです。
例えば、お弟子さんたちが鷗外について語っている回想録を読むと、誰もが「自分は鷗外に愛されていた、よくしてもらっていた」と感じています。
鷗外の子どもたちの手記の中には、「自分が一番お父さんに愛されていた」と書いてあります。
子どものために独自の教科書を作ったり、夜中にトイレに連れて行ったりなど、彼は愛情をもって子どもたちに接していました。
私生活ではいろいろなしがらみがあったようですが、自分を失わず、また人を愛することを失わずにいたのだと思います。(六草いちか氏)
六草さんは、最初に『舞姫』を読んだ時、なんて酷い話だと本を投げ出すほど怒ったそうだ。
自分の子を身ごもった女性を捨てる身勝手な男の話だから、まぁ無理もない。
鷗外を全く好きではなかった彼女が、エリス=エリーゼについて調べるうちに少しづつ鷗外への理解を深めていった。
「愛の人」は、ただ「優しい人」とは違う。相手に与える愛をたくさん持っていた、そしてその愛はとても誠実で理性的なものだった、、私はそう思う。
人として、男性として、父として、友人として、家長として、、。
作家や官僚・知識人としての公的な立場以外の様々な面が研究者たちによって明らかにされている。暗い面ももちろんある。
それでも、鷗外を知れば知るほどその人柄に魅きつけられる。
鷗外は40歳で再婚するのだが、その見合いの席の様子を娘・杏奴(アンヌ)さんがお母さんから聞いている。
「…、母は父を一眼見て気に入ってしまった。顔も厭ではなかった。どんな所が一番気に入ったのかと聞いて見たら、態度と、それから声が非常に気に入ったと答えている。全く父の声は少し濁を帯びて、低く柔い響を持っていた。」
ふ〜ん、その声、めちゃ聞いてみたかったなぁ....。低く柔かい声、、。
まったく私は、”超ミーハー鷗外ファン”なのである(笑)。
***Part4に続く***
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