エレクトーンな日々~Part2~

大学を卒業すると、エレクトーン講師と並行してデモンストレーターの仕事を始めた。

高崎で研修を受けた後、地元でやった初めての仕事がなかなか試練だった(o_o);;

 

世間では春休みが始まった頃。

うららかなある日の朝8時、自宅にヤマハ担当者が迎えに来た。

慌ただしく一緒に車に乗り込んで『東映ドラえもん祭り』映画館会場へ。

朝一番の上映を待つ子供たちとお母さんたちで館内はワイワイ賑やかだ。


スクリーン前の狭い壇上スペースに無理やり置いた感のあるエレクトーン。かなり違和感有り、、。

壇上に登ってエレクトーンに向かって座ると、おもむろにマイクを持って「みなさ〜ん、おはようございます!」客席に呼びかける。

 

要は、映画が始まる前にエレクトーンの伴奏でドラえもんのテーマ曲( 「アンアンアン、とっても大好き、ド〜ラえもん!」ていう.... )をみんなで歌って、ヤマハ音楽教室も映画と同じくらい楽しいですよっていうPRをするのだが、、。

私が子ども相手に『歌のお姉さん』をやるってのは、今考えても甚だしいミスキャストだ、、当時の私は『アダムス・ファミリー』のウェンズデーみたいなヤツだったから(笑)。

子供もお母さんも突然の事にポカンと口を開けたままこちらを見ている。

もの凄く違和感有りまくりの空気にアップアップしながらも、なんとか最後まで伴奏を弾いて「それではみなさん、映画を楽しんでくださいね〜! 」

それ以降しばらく、ドラえもんを見たくなくなった。


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ある風の強い日の午後。

その日は日曜日で、バスセンタービルの屋上の広場には、お昼休みの休憩に訪れた近くのお店の店員さん、買い物に来た家族客や高校生のカップルなんかでいつもよりちょっとだけ人出が多かった。

私は広場の片隅でエレクトーンを弾いていて、演奏は大きなスピーカーで広場じゅうに流れていた。

    (新潟市バスセンター)


今回の仕事は、マイク・セッティング無し・おしゃべり無し・弾くだけなので気楽だったが、担当者が側にいなくて一人きりなのが少しだけ気がかりだった。

事前に「大丈夫?」と聞かれて、

「大丈夫ですよ〜。変な人にからまれたらすぐ逃げてきます^ ^ 」元気に答えた。( 事務所は会場のすぐ近くにあった。) 

変な人は来なかったが、突然すごい強風が吹いて、重しを上に載せてまとめておいたかなりな量の譜面が一気にパァ〜っと舞い上がった。

驚いたが演奏中なので、広場を横切ってひらひら飛んでいく譜面を目で追いつつ「わっ、どうするかなぁ....。」と考えた。

まぁ考えてもどうにかなる事態じゃないので、仕方なく演奏を中断し風の広場を走って譜面回収した。

みんな見ていてちょっとかっこ悪かった、、。

 

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新潟市外からの仕事も時々来た。

小さな町の楽器店の音楽教室・生徒募集キャンペーン。エレクトーンのデモ演奏でお客さんの興味を引く作戦だ。

お店によっては、お客さんを集めるよりこちらから積極的に打って出ようと考える意欲的な担当者がいて、これがなかなかハードな仕事だったりする。


小型トラックの荷台にエレクトーンを積んで、街中から土埃舞う郊外へ。

私は荷台に乗り込んで、トラックの拡声器から「春の生徒募集キャンペーン期間中です!」アナウンスが流れると、少しよろけながらも素早く椅子に座ってエレクトーンを弾き出す。( 若かったからできたんだよなぁ、、。)

私の長い髪が走る風に盛大になびいて、遠目にもかなりなインパクトだ。というか、見た人は普通にびっくりしたと思う(笑)。

こんな面白い経験はめったにできるもんじゃないので、流れる風景と鍵盤を半々に見ながら刺激的演奏を半日たっぷり楽しんだ^-^ 。

 

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 ( こんな感じのトラック!)


他にもまだいろいろあったけれど、総じて「頑張った!」って感じかな。

 

エレクトーンに夢中だったあの頃の私。

どんな仕事も愚痴や不平不満を言わず一生懸命にやった。

目標を見定めて一直線に進む…あの時の心の有り様をまざまざと思い出して、少し弱った心が力をもらったような気がした。

我ながらちょっと背筋が伸びる思いがした。

 

過去の私が「頑張れ〜!」とエールを送ってくれている。

20代の怖いもの知らずの私だ(笑)。こちらを真っ直ぐに見据えている。

ブログを書きながら、そんな空想がふと浮かんだ。