父と母の三回忌で新潟に帰った。
この2年の間にすっかり着慣れた黒の喪服を着て玄関の鏡の前に立ったら、随分と疲れた顔をした自分の姿にちょっとびっくりした。
まだ2年なんだ...、いろいろな出来事が頭の中でぐるぐる駆け回った。
東京から一緒に帰った父母の位牌をもって、新潟市沼垂(ぬったり)にある真言宗の大きなお寺に伺った。
もの凄く広い本堂は大きく3つに分けられていて、中央の一番立派な祭壇の前で、住職のお寺様が父母の為にお経を上げてくれた。
真言宗のお経は母が大好きだったお経だ。
グレゴリオ聖歌のように音楽的で多様なリズムと旋律があり、大空間に響くお坊さんの声は豊かな倍音を含んでとても美しい。
合間に鳴らされるパーカッション的な鐘やシンバルやクラベスのような楽器の音に時々はっとしながら、終わりまでずっと不思議な浮遊感を感じていた。
<法要の後でお寺様がおっしゃった事>
少しでもたくさんの人々に説法を聞いてもらうために、お釈迦さまは弟子達にその方法を教えた。
美しい音楽と華やかな飾りと美味しい食べ物で、
人の心を惹き付けなさい。
教えを無理強いして押し付けてはいけない。
興味を持って尋ねてくる人だけに伝えなさい。
私はお寺様に、何故お経は日本人が理解できない言葉で唱えられるのか聞いてみた。
「今日のお経はどういう意味があるのか、知りたいと思った人が尋ね、興味を持った人だけが理解するのです。」
お釈迦さまと弟子達は、大事な事を伝える為に細心の注意を払ったのだ。
私はJazzが好きで、少しでもたくさんの人に演奏を聞いてもらいたいと思う。
でもその為に何を考えただろう?
その事を伝える為にどんな注意を払っただろう?
ライブに来て下さいね! 無理強いで誘っているだけではないか?
どんな演奏をすればJazzに関心を持ってもらえるんだろう?
家に帰って、また玄関の鏡を覗き込んだ。
出掛ける時に見た疲れた顔が、わずか数時間のうちに哲学的に悩める顔になっていた(笑)!
お寺様がおっしゃっていたが、父と母は今、あちらの世界でいろいろと修行中なのだそうだ。父は真面目な人だったから、きっともの凄く頑張っているに違いない(笑)。
今の私のように好きな時に好きな事だけをやるっていうのは、この世にいる者として、なにより表現者として随分と甘えた事だなぁ、とふっと思った
やり始めないといけない。ようやくそう思った。
ようやく、、だなぁ....(笑)。
でも、”今だから”かもしれない。
父と母の事でいろいろとお世話になったこのお寺様はとてもお若い方で、私の音楽活動についても興味を持って聞いて下さった。
人生のある時期、仏教や宗教の教えに触れる事で自分の中の何かが変わる、見方が少し変わるーそういう体験をしたという事を、忘れずに覚えておこうと思った。
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