高速バス

1年前までは月2回、現在は月1回のペースで東京-新潟間を移動している。

時間の余裕がある時はたいがい、新幹線の1/3以下の料金で行ける高速バスを利用する。

自宅から歩いて2分の西武新宿線の駅から下落合駅まで10数分。駅前の高速バス停留所にほぼ時間通りに大型バスが到着する。

車体下部トランクに重い旅行バッグを預けて指定席にゆったり収まると、それから5時間は優雅で静かなくつろぎの時間(笑)だ。


まず座席を快適な角度に調整し、靴を脱いでフットレストに足を伸ばしてしばし和む。

窓の外は見慣れた目白通りの景色で、目印のお店や建物をただぼっと目で追っていると脳と身体からちょっとずつ力が抜けていく。眩しく晴れたお昼前だったりどんより曇った夕方だったり、どんな情況であれ”自分の縄張り”みたいな不思議な安心感がある。

やおらバッグをごそごそ探ってiPhoneとイヤホーンを取り出す。

大好きなキース様、ビル様....そういえばハービー様は最近聴いてないわね....、iTuneをあれこれ検索した挙げ句に、何故だか古今亭志ん朝の落語を長々と聞いたりする。


川越的場あたりからそわそわ落ち着かなくなる。

冷たい小雨なんぞが降って薄暗い空だったりすると、”もののあはれ”ってこんなふうかもしれない....急に古風な言葉を思い出して心細さにじわじわ襲われる。

バスはどんどん山の奥へ突き進み、それにつれて景色の中から人工的なものがみるみる少なくなっていく。

しばらくすると、バスは見渡すかぎり”手つかずの自然”にすっぽり包まれる。


春から夏。山々は眩いほどの緑と所々咲き乱れるピンクや白や様々な色の花々で彩られる。

緑は、季節と共に新緑の鮮やかさから深く濃い色合いに落ち着いて、吹く風が冷たくなる頃には赤や黄色や橙色に徐々に染まっていく。そしてある時突然、山全体が豪華なペルシャ絨毯のようになる。

天気が良い日の夕刻。遠く山の端にゆっくりと沈む神々しいまでに美しい夕陽は、一瞬この世ではない世界を錯覚させる。まるでSFファンタジーだ。

冬。山と平野は全てを雪に覆われ、一幅の水墨画になる。色を失った白と黒だけの世界の厳かさに思わず息をのむと、車内の所々で携帯電話のカメラがカシャッカシャ鳴る。

もう数えきれないくらい見た風景の数々だが、その都度、日本に生まれて良かったと思う。新幹線でサァッと過ぎてしまうのは本当に惜しい。

こんなにも日本は美しいのだ。


ひとしきり風景に感動したあとは、これまた大好きな『妄想タイム』(笑)が始まる。

このブログに書いた記事の多くが、この『妄想タイム』の産物だ。

ああだこうだどれだそれだと、まぁ好き放題にいろんな事を考える。

昔の事を思い出したり火星移住を考えたり、日本の未来を憂えつつ夜は何を食べようか悩んだり、、。


上里サービスエリアと越後川口サービスエリアで休憩。


新潟まであとちょっとの1時間というのが、なかなか”だれる”(笑)。

音楽も落語も窓の景色にも飽きて、考えるネタもおおかた尽きてくる。背中も首も凝ってくる。

東京=新潟間は4時間がベストである、私的には....。

まぁ文句を言ってもしょうがない。

”実家に着いたらやることリスト”を頭の中に書き出しているうちに、家のDVDに予約録画しておいた映画とお気に入りTV番組があるのを思い出して、一気に気分がホクホクしてくる。

ん~、新潟駅前降車場に誰か素敵な人が待っているとか、デートの約束があるとかでホクホクするんじゃないというのが、考えてみれば微妙に残念なような、、。

でも、仮に夢のような出会いが”今”あったとして、『DVD見ながらお家で一杯』の方を確実に取っちゃいそうな自分に「いやいやそれは、、。」とダメ出しするべきなのかどうか、ここは深く迷うところだ。

それなりに幸せっていうのは、変化・進歩の芽を摘んじゃうのかもなぁ....。


そうこうしているうちに新潟到着。

バスを降り、在来線ー我が”越後線!”に乗るべく新潟駅正面改札に向かう。

降りる時には運転手さんに、「ありがとうございました!」を必ず言う。

ランドセルを背負った小学生のようだが、何故か言わずにいられない。やっぱり私は”高速バス”ファンなのだ^ ^

4時間だったらほんともっともっと良いんだけど....o_o