近年、人生相談ブームなのだそうだ。
週刊誌で人生相談コーナーが人気だったり、情報サイトに毎日投稿される悩み相談を楽しみにするウォッチャーというのも存在するそうだ。
インターネットでオンラインの相談コーナーを流し読みしてみると、人生のあらゆる断面がびっくりするほど赤裸々に告白されている(笑)!
嫁姑問題、夫婦のいざこざ、ママ友がどうして会社の同僚がこうして近所の子供がああして義妹がそうして、、とまぁよくもこんなに沢山の人たちが大変な目にあっているものだと思う。
でも一番興味深いのは、そうしたプライベートな悩みに対して本当に多くの人たちがアドバイスや慰め、共感や激励、時には間違いを指摘して叱咤・忠告し、相当な労力を使って親身に回答している事だ。
会った事もない人によくここまで....と正直思ってしまう。
アメリカ映画なんかをみていると、登場人物が、失恋だ不眠だ家庭不和だ人間不信だ、、普通に誰でも悩んでいそうな事でごく気軽にカウンセリングを受けていて、そういう場面はとてもアメリカ的な印象がある。
日本でカウンセリングに何となく特別な感じがあるのは、まだ効果的な治療法として認知されていないからか、日本人の生活にそれほど必要じゃないからか、。
シオシオにうなだれて倒れそうになった時、ただそっと側にいてくれて「大丈夫?」と聞くでも「どうしたの?」と尋ねるでもなく、ただ一緒に散歩したり海に行こうと誘ったり、植物園に連れ出してくれた誰かの柔らかな気持ちに触れた記憶は、人生を振り返ると鮮やかに甦ってくる。
そうした経験は私が特別なのではなく誰にでもあって、私たちの周りには細やかな気遣いが目立たず普通に存在するのだ。
どこで読んだか内容も定かではないのだが、日本人のコミュニティには昔から、相談役のオヤジさんだったり世話焼きオバさんだったり、生活の悩みを誰かが親身に聞いてあげる空気みたいなものがあったとか。
日本では多くの一般人が優れた聞き役だったのかもしれない。
欧米人にとって他人の悩み事を聞くというのはかなり特別なケースらしい。だからカウンセリングという学問が発達したのか、、。
この説が正しいか正しくないか分からないが、人生相談に投稿された悩みに対するコメントは、まるで自分の事のように真剣で暖かい気持ちを感じるものが多い。たとえ相手を厳しく諭す場合でも、、。
悩んでいる人の話をちゃんと聞こうとする姿勢が基本にある。
カウンセリングとは全く違うだろうけれど、誰かに話を聞いてもらう事で救われる気持ちもあるだろう、道も見つかるかもしれない。
先日イズイズに会った時、「たまたま新聞見てたら、人生相談の欄で凄い相談見つけた!」と言って、小さな切り抜きを見せてくれた。
周りのお友達と読んで、「えぇ?!! 」と全員が衝撃を受けたのだが、その内容はかなり反社会的であった(笑)。
でも、イズイズも私も友達も、その相談者の嘆きを考えてちょっと切ない気持ちになった。
私たちのコメントが相談者に届く事はないけれど、その場にいた私たち一人ひとりは決して傍観的な批判者ではなく、親身で真剣な回答者だった。
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