今月半ばぐらいからか、ようやく生活のリズムが落ち着いてピアノの練習が普通に出来るようになってきた。
しばらく中断していたオリジナル曲の整理。
昔つくった曲の中からJazzで演奏できそうなものを選る作業を去年から始めて、最初に外した曲が『秋桜(コスモス)』だった。
大学を卒業し、エレクトーン講師としてYAMAHAに就職して数年後、”作曲研修”という、もの凄く贅沢な研修を受ける機会に恵まれた。
参加する講師は全国から集められ、数ヶ月に渡って段階を踏みながらクラシカルなオリジナル曲を数曲作り、その演奏を録音する。
何せ最終ステップでは、自分が書いたオーケストラスコアを、学生とはいえ東京芸大の管弦楽団が演奏してくれるのだ!
当時のYAMAHAは今から考えられないくらい超太っ腹だった。私にとっては職場というより音楽の学びの場であり、さまざまな経験と勉強をさせてもらったと思っている。
この研修は楽しくて楽しくてしょうがなく、研修の課題を持ち帰るとYAMAHAセンターの練習室に何時間もこもって曲作りをした。
ピアノ以外の楽器を知り、楽器同士の対話を几帳面に紡いで物語を織り上げるという体験は、音楽大学を出ていない私にとって後にも先にもない貴重なものだった。
第一回目はピアノ曲のオリジナル、二回目はフルートとピアノ、三回目はバイオリンとチェロとピアノというふうに楽器が増えていった。
『秋桜(コスモス)』は、このバイオリン・チェロ・ピアノ三重奏の曲だ。
クラシック風の7~8分の曲で、今見ると随分とっ散らかった感がある(笑)。
長いし拍子もころころかわるし、Jazzには無理!と思って最初に除けていた。
でも改めて楽譜を眺めてみて、テーマの雰囲気がいいな、と思った。
Jazzで演奏できるように少し手直ししようとピアノに向かったら、何十年も昔、同じ様にピアノに向かって一生懸命に楽譜を書いていた時の気持ちを突然思い出した。
なぜ題名が『秋桜(コスモス)』なのか。メロディを弾きながら何を感じていたか。
コスモスは群生するイメージがあり、たくさんの白と淡いピンクの花がそよ風に揺れている風景は、秋の日の記憶として誰の心の中にもあるだろう。
でもその時に私が心に描いていたのは、たった一本、群れから離れて咲くコスモスの花だった。
頼りなく風に揺れる細い茎が哀れであるのに、きっと独りで咲くことに何の迷いも恐れもない、、その気丈さを自覚することなくただ無心で秋の日を咲き続ける。そんな姿に憧れる自分がいて、振り返ってみれば、風に揺れる一本のコスモスのイメージは、その後もずっと私の心のどこかにあった気がする。
『秋桜(コスモス)』のメロディを弾きながら、今まで歩いてきた道をつらつら思い返してどっぷり感傷的な気分になった....(笑)。
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