自由研究

小学生の頃、夏休みの自由研究の宿題は”暗黙の親子密約”ー父の企画立案、父の実行計画、参加協力が私という極秘プロジェクトだった()

研究って何??な私が、迷わず父に泣きついたのだ。        

 

あれは何年生の時だったろう、、。

そういう不正を絶対に許さない母の非難の視線を浴びながら、父と私は父が作った大きなおにぎりと卵焼きのお弁当を持って、山間を流れる阿賀野川中流の水質検査に出掛けた。

リュックサックを担いで父と一緒に鈍行列車に乗ると、これから何を”研究”するのかなんて綺麗さっぱり忘れて、ただワクワクした。

 

目的地の川原に着いて、おにぎりをほおばりながら目の前の清流に足を浸す。

川底の小石の丸くて硬い感触と足首にあたる流水の勢いが心地良かった。

水筒に水を汲むとあとはもうやる事がない。

川のせせらぎと鳥の声、時折そよそよと吹く川風と眩しい夏の陽射しの中で、穏やかな父のそばに黙って座っていると何だか気持ちが良くて、ついうとうと眠ってしまいそうになる、、。

市内に戻ると、新潟平野を滔々と流れる下流の水をかなり危険な思いをして採取した。

川幅も広く、黒々と底も見えない大量の水を間近で見るのは本当に恐ろしかった。この時は確か、父が汲んでくれたのだ。

 

数日後、今度は一人で街に出掛けて行って、コンクリートの床の薄暗くて変な匂いがこもった何屋さんだかよく分からないお店で、試験管やビーカー、名前も思い出せない試薬をいくつか買った。

家に帰って包みを広げ、真新しい器具を一つ一つ机の上に並べていくと、突然、今までの私じゃないような不思議な気持ちになった。

天秤と分銅とピンセットで試薬を正確に量って溶液を作り、木の試験管立てにたてたそれぞれの川の水にスポイドで垂らして、その化学反応を絵や数字で記録する。

いったい何を何の為に入れてどうなって何が証明されたのかさっぱり覚えていないのだが、とにかくなかなか本格的な"研究"だったのだと思う。全部、父の計画書どおりだが....()。 

 

こうした経験が面白かったのか、図書館で読んだ『キュリー夫人』の影響か、その頃の気持ちはまるで不明なのだが、その後中学生になった私はなんと『化学部』に入部した。

生粋の”文系”人生で、この時のほんの数年間だけ、私は紛れもない”理系”少女だった!

 

波瀾万丈の中学『化学部』時代については、長くなるのでまた改めて....()