自分にとって『悔しいと思う事』について考えてみた。
例えば、ライブで思うような演奏ができなかった時とかどうだろう。
今まであり過ぎて困るぐらいあるのだが、思い返してみて一度も悔しいと思った事はない。ただめちゃめちゃがっかりする。
この『がっかり感』と『悔しい感』はかなり違う。
あるいは、街でセンス抜群のお洒落な男性とすれ違った時。
これはなかなか複雑な心理状態で、綺麗な女性は山のようにいるのでさほど気にならないが、男子にも負けた...てな敗北感はちょっときつい(笑)。
でも、これも『がっかり感』で『悔しい感』じゃない。そもそも勝負になってないし....(涙)。
「この気持ちが分かってもらえなくて悔しい。」なんていう時は、あふれる思いが伝わらなくて残念で残念でたまらない!というある種、強調語のようなニュアンスがある。
「せっかく有名焼き肉屋さんに来たのに、お腹いっぱいで食べられなくて悔しい!」のとほぼ一緒で、がっかりを通り越して『超・残念!』という事だ。
一般的に言って『悔しい感』は、-「勝って嬉しい花いちもんめ、負けて悔しい花いちもんめ、、」- 誰かと競って負けた時、相手が勝って嬉しがっている時にもくもくとわき上がってくる感情だ。
その相手が、「やーい!」と歓声を上げながら”あっかんべ~”なんてしようものなら、『悔しい感』のボルテージは限りなく上がる。
つまり、誰かに負けて「やーい!」と言われた時の気持ちが、正しい『悔しい感』なのだ。
『がっかり感』でも『残念感』でもなく、紛れもない『悔しい感』なのだ!
、、なんでこんな事を長々と書いたかというと。
今日、お昼ご飯を台所で作っていたら、額の真ん中に近い所を蚊に食われた。
「凄い所を食われたなぁ。」と思っていると、母も「おや!」なんて言って笑う。
だいたい、我が家の蚊たちは人間を馬鹿にしている。
防虫スプレーを吹きかけて完全防備のつもりで草取りをしていると、吹きかけそびれた肘のあたりを見つけてピンポイント攻撃してくる。衣服の上から刺すなんて強者( つわもの )もいる。
「敵ながらあっぱれ!」なんて思った時期もあったが、さすがに、顔の真ん中とか刺すかぁ?と一人ぼやいたら、むくむくと『悔しい感』がわいて来た。
ブログで、”悔しい事”とか言ってせっせと分析している自分が我ながら情けないが、いくら怒っても相手に通じないのだから仕方がない。
蚊の”あっかんべ~”顔を思い浮かべて、「今度は絶対に負けない!」と力強く誓うしかない。
涼しくなるまであともう少し、闘いは続く....。
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strona www (水曜日, 01 11月 2017 01:21)
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