何もしない人

大学を卒業してからずっと音楽に携わってきた。好きな事だけを選択してきた。

独身でいても周りにあまりうるさく言う人がいなかったし、友人たちも独身が多かった。

こんな私でも奥さんにしてやると思ってくれた人が何人かいたけれど、私にとって結婚は人生が終わるという事だった。

私の歩く道は自分が選ぶ、目的地も道順も歩くスピードもバスに乗るか電車に乗るかも全て。

結婚はそういう人生が終わる事だと思っていた。

 

母は、家の中に居る事が嫌いな人でしょっちゅう用事で外に出掛けていた。

私の小さい頃の思い出で一番泣けるのは()、ある春の日の夕べの記憶。

日が暮れてきて、家の中に一人でいるのが心細くなった私は分厚い少女漫画雑誌を抱えて家の外に出た。近くの街灯の下にしゃがんで、楳図かずおのホラー漫画を読みながら母の帰って来るのを待っていると、だんだんと夜の闇が押し寄せてきて、漫画が怖いのとお腹が空いたのとで子供ながらに孤独を感じて涙が出そうになった。

普通の家のお母さんみたいに、学校から帰ったら必ず家に居て、「お帰り!」と笑顔で迎えてくれる人がママだったら良かったのに...

 

という訳で私にとって結婚は、夫や子供をそんな"笑顔で迎える人"になる事だった。

人生に野心を持たず、家族には「お母さんは暇で良いねぇ。」なんて皮肉を言われても、「何言ってんの。忙しくて忙しくてお母さんは大変なんだよ!」なんて笑って言える人になる事だった。

 

昔の日本の家にはおじいちゃんやおばあちゃんがいて、"特別な事は何もしない暇な人"という存在があった。

小さい頃の気持ちを思い出すと、そんな存在が欲しかったのかもしれない。そこまで暇な大人はめったにいないと思うが、少なくとも自分の前では”ゆっくりお茶を飲んでいる人”でいて欲しい、、。

 

結婚についてはもっと複雑な気持ちが絡むが、少なくとも自分の野心は諦めなくてはいけないのだと思っていた。

まぁそんな風に思い詰めた結果、結婚は夢を追う人生が終わる事、私の人生が終わる事になってしまった訳だ。

 

今、私が父の病院や日々の買い物などで忙しく用事を済ませて家に帰ってくると、母が「やぁ、おかえり。」なんてチャーミングな笑顔で迎えてくれる。( 眠っている時の方が多いけれど....)

今の母は"何もしない人"だけれど、私は母の笑顔を見るのが本当に嬉しい。こんな形だけど、小さな頃の望みがかなった訳だ。

人生を諦めなくても野心があっても、そんなに難しく考えなくても結婚はできたんだなぁ、と今では思える。

後悔ではなく、ちょっと肩の力が抜けてきたのが我ながら嬉しくて、こういうのが年をとるって事かなぁ、なんて妙に納得したりする。