『日本人の誇り』

ずっと昔、実録映画『東京裁判』を見た。

終戦後、1946年から1948年まで行われた東京裁判は、戦勝国が敗戦国日本を一方的に断罪するとても裁判なんて言えない酷いもので、見終わった後、あまりの理不尽さにやりきれない思いがした。

法廷で証言するA級戦犯と呼ばれる人達は、連合国側が主張するような、「共同謀議」をして世界征服を企み、侵略を画策して組織的に「人道に対する罪」を犯した、そんな極悪な人達には到底見えなかった。

死刑判決を日本語通訳のヘッドフォンで聞いた後、静かに裁判長に一礼する姿に涙が止まらなかった。

 

「人道に対する罪」なら、原爆を落とし、大都市空襲で無辜の市民を大量に殺した米国の行為は、戦争犯罪でなくていったい何なのだろう?

そういう疑問は、映画を見た何年も後になって少しずつわいてきた。

 

「原爆投下は、戦争の早期終結・これ以上の犠牲者を出さない為に必要であった。そうさせたのは愚かな日本軍部と政治家のせいである。」

「中国では30万人もの一般市民が無差別に虐殺された。関東軍の暴走の結果である。」

そういうふうにいつの間にか信じていて、贖罪の気持ちを持つ事は日本人の義務だとずっと思っていた。

でも、本当にそれが真実なんだろうか?

 

お茶の水女子大学名誉教授・数学者である藤原正彦氏著『日本人の誇り』( 文春新書 )を読んで、今まで漠然と疑問に思ってきた事、なぜ?と憤ってきた事、間違って思い込んできた事、いろいろなもやもやが一気に吹き飛んだ。

数学者らしい公平さと理性的な緻密さで様々な歴史資料や史実を検証し、当時の記憶や証言から導かれた真実と思われる世界の歴史の姿は、複雑で冷徹で偽善で醜悪で、読んでいて胸が悪くなるようなものだった。

そして、日本が犯した他国への侵略という事実も改めて思い知った。アメリカもイギリスもやった事だというのは弁解でしかない。

 

それでも、本を読んで、日本人に生まれた事を誇りに思えた。

幕末開国以来、帝国主義という弱肉強食が跋扈する国際社会の荒波にいきなり飲み込まれながらも、国を守る気概を持ち続けて戦った先人たちの驚くような鋭い知恵と自負心。

大国主義に翻弄され、戦後の洗脳教育を経てもなお私たち日本人がずっと潜在的に持ち続けているもの、それは、武士道精神といってもいいような日本人特有の心の持ち方だ。

失われつつあると言われているこの精神文化を完全に失ってしまわない為に、本当の歴史を今からでもみんなが知らないといけないと思った。

『日本人の誇り』は、散らばった断片だった私の中の日本を、幕末から現在まで一つの歴史として、一つの国の形として見せてくれた。

 

2012年ー今年の夏は、領土問題とかもあったから、歴史(近代史)についてめちゃめちゃいっぱい勉強した(笑)!