新潟の私の家には、昔、猫がたくさんいた。
ハンパじゃない数だ。一番多い時で10匹はいたかもしれない。
もっとも、家の中にいるのはそのうち数匹で、あとの猫たちは、食事時になるとどこからか戻ってくる、という感じだった。
こうなってしまったのは、母が原因だ。
捨て猫が可哀相でほっておけなかった事、雌猫には女と生まれたからには一度は子どもを産ませてあげたい、なんていう女性人権...いや猫権活動家のような勇ましい事を考えた事、そのうち避妊手術などの管理が面倒くさくなっちゃった事、その他いろいろ...。
結局のところ、母はとても気持ちが優しい人なのだが細かいことはあまり考えないし、父が本当に頼りになる人なので、困ったらなんとかしてくれるみたいな気持ちがあったのだと思う。
おかげで、父と私は本当に大変な思いをした。
今でも父と時々、「いやぁ、あの時は...」なんて、笑いながら思い出話をする。
父に比べれば、私の苦労なんて微々たるものだが....。
私が一人っ子だというと、「さぞ大事にしてもらったんでしょう。」とたいてい言われるが、とんでもない、わたしには強力なライバルみたいな兄弟たちがぞろぞろ居て、母の愛情はどちらかというとそちらに行っていたと思う。
学校の宿題ノートをテーブルの上に広げておいたら、目を離した隙に兄弟の一匹がその上に毛玉を吐いてしまい、私が泣くと母は「そんな所に出しっぱなしにするのが悪い!」と叱った。
小学生の時、文集に私の作文が載った。家族の事を書いたのだが、たぶんわざと猫の事を書かなかった。母は嘘の作文だと言って一言も誉めてくれなかった。
母にとって猫たちは家族だったのだと思う。
こう書くと私がえらく彼らを嫌っているように思われるが、私にとって、あの時いつもまわりに居た猫たちは間違いなく私の兄弟姉妹だった。
( 本当を言えば、みんないなくなっちゃえ!なんて何度も何度も思ったけれど....笑。)
同じ親から同じ時に生まれても、子猫は一匹一匹、性格が見事に違っていて、臆病な子、好奇心旺盛な子、弱い子、強い子.....個性は観察していると本当に種々様々だ。
猫の世界の強者・弱者の争いは苛酷で容赦がなく、戦いに負けて尾っぽがだらりと垂れ下がってしまった雄猫に、慰めようにも言葉が通じないから、ただ側に座って、”頑張れ、私も大変なんだ” なんて随分独りよがりな応援を心の中でつぶやいたりもした。
だから先日、facebookのリンクでたまたま見た「飼っている猫を魚と思って見ている」というブログの記事を読んで、思いっ切り悲しくなった。
無性にうちの猫たちの事を書きたくなった。
もう思い出でしかないけれど、愛憎悲喜こもごも、もの言えぬ家族の事を書きたくなった。
という事で次回に続く、また長くなっちゃいそうなんで(笑)。
( 時代を感じる.....笑 )
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